8/21~9/3 今日のひと言―草庵に 雨音閑と 染み入りて……百年の愁いを忘却するどころか…… | 左藤無憂樹―生きる命をつなぐ蓮の絲…いのちの記憶

左藤無憂樹―生きる命をつなぐ蓮の絲…いのちの記憶

この流転する娑婆世界に、重荷を背負いながらも、
懸命に道を尋ねる心魂に、微細ではあっても、
生きる命をつなぐ蓮の絲……。

然(さ)ればこそ、
生きているよろこびも、心を塞ぐ哀しみも……
ともどもに、心にとどめて、
この娑婆世の道を歩いております……。

2023年(令和5年)9月3日-447号 
☆・・・・‥…‥─━━─‥…‥…─━━─‥‥…・・・・☆


枯れ果てて、散るのではありません。



この世は、かりそめの宿-


ならば-春さらば-と、すがしく散る、


万朶の桜のひとひらにこころ学びたいものです。


今までも、このように生かされ、


そして、生きて参りました。



師 承真尼婆子の後ろ姿を追いつ、


婆子の踏み跡を行きつ戻りつ……。



ひたすらに生きようとする、


盲目的意思を感じながらも、



深遠な真理を未だ識り得ない我が身の、


自分の愚かさに、


明けることのない夜……「無明長夜」を憶います。



だからこそ、人は心の遍歴と軌跡の中で、


心の樹海を彷徨い歩くとも、



無明長夜を照らす生きる灯火を、


心の旅を開く鍵を、


人生の道すがらに求めようとするのです。







☆ 左藤無憂樹─生きる命をつなぐ蓮の絲……☆彡



vol.00447 2023年9月3日(日)配信 



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★……草庵に 雨音閑と 染み入りて……



草庵に



雨音閑と



染み入りて



香ひと燻り



寂黙と過ぐ



2023年8月21日  詠









・Ave Maria /Giulio Caccini ・ Vladimir Vavilov
 ジュリオ・カッチーニの《アヴェ・マリア》再掲

 ( 珠玉のピアノ曲…… )
  https://www.youtube.com/watch?v=x2ibR0puNk4











☆彡・最新の今日のひと言





★…2023年9月3日  今日のひと言


─雨際に 野分ひと吹き 昊光り…… 


◆いのちを詠ふ……佛教短歌




★…2023年8月28日  今日のひと言


─野分去り 吹き寄せ集む 落ち葉焚き…… 


◆いのちを詠ふ……佛教短歌




★…2023年8月21日  今日のひと言


─草庵に 雨音閑と 染み入りて……


◆いのちを詠ふ……佛教短歌







☆彡・ 憶いでの小筥から……今日のひと言 



★…2019年2月11日 今日のひと言


─水が冷たいか、温みがあるのか、
まず自分自身が動いて、
自身でその水を呑んで体験しない限り……


・冷暖自知

如人飮水、冷暖自知。
  『 血脈論 』他
                                                  

◆人生の旅の途中……。




★…2019年2月12日  今日のひと言


─此処が先途、
大事な分かれ目、瀬戸際と自身に刻み……


◆人生の旅の途中……。




★…2019年2月13日  今日のひと言


─過去を悔いて、過去に囚われ、

未来を愁い、かえって、未来に囚われてしまう……

◆人生の旅の途中……。




★…2019年2月14日 今日のひと言


─人の「 こころ 」というものは……

◆人生の旅の途中……。




★…2019年2月15日  今日のひと言


─百年の愁いを忘却するどころか……

◆人生の旅の途中……。




★…2019年2月16日  今日のひと言


─生きる上での、羅針盤のようなものがあれば……

◆人生の旅の途中……。




★…2019年2月17日  今日のひと言


─従来の西洋哲学で、
「心身の問題」として探求されてきたこの難問は…… 

◆人生の旅の途中……。



 



   ☆彡・こころの磨き砂






★…2014年7月29日 今日のひと言   

・自然の巡り、移ろいに、
 時の流れをたくした、鴨長明の「時」の感覚。

  鴨長明『方丈記』……
  幾星霜を経ても心に響く、水の流れ……のこと


◆このささやかな良きこと……





☆‥…─━━‥………‥☆彡今日のひと言……‥‥━━─‥…☆





9月3日  雨際に 野分ひと吹き 昊光り…… 




雨際に



野分ひと吹き



昊光り



さやぐ葉擦れを



茶を練りて聴く




2023年9月3日  詠






☆‥…─━━‥………‥☆彡今日のひと言……‥‥━━─‥…☆


 

 

 

8月28日   野分去り 吹き寄せ集む 落ち葉焚き……




野分去り



吹き寄せ集む



落ち葉焚き



飛花落葉の



無常儚さや




2023年8月28日  詠






☆‥…─━━‥………‥☆彡今日のひと言……‥‥━━─‥…☆


 

 

 

8月21日  草庵に 雨音閑と 染み入りて……



草庵に



雨音閑と



染み入りて



香ひと燻り



寂黙と過ぐ





2023年8月21日  詠





・‥……─━━…‥…憶いでの小筥から……‥…━━─…‥‥


2月11日





水が冷たいか、温みがあるのか、

まず自分自身が動いて、

自身でその水を呑んで体験しない限り……





・冷暖自知

如人飮水、冷暖自知。

( 人ひとの 水みずを 飲のみて

 

  冷暖れいだん 自知じちするが 如ごとし。)

             『 血脈論 』他



「 水の冷暖は水を呑んで初めて自ら知ることができる。
  悟りは他からの説明によるのでなく

    自得すべきものなるを言う 」
               

    『 禅林句集 』柴山全慶編より






水が冷たいか、温みがあるのか、

まず自分自身が動いて、

自身でその水を呑んで体験しない限り……







何かを学ぶためには、

まず自らが動くことことです。



その結果、

周囲が何も変わらなかったとしても、


その経験によって、

自分自身の裡では、確実に何かが変わるものです。


以心伝心がどれほどできていそうでも、



それが、たとえ、

共鳴できることであったとしても、



彼の人の主観が混じる体験談が、

自分の実際の体験になることはないのですが、


どこまでいっても、

真に自分のものにはならない……のですが、



そのものの真実が、

何であるのかを、本当に知ることは難しいのです。



水が冷たいか、温いのか、

自分自身で、

その水を呑んで体験しない限り、

絶対に分からないのです。



人の境涯も、

その人自身のみが知ることができることで、

余人が窺い知ることは難しい限りですが、



自らが動いたその経験によって、

自身の裡では、

確実に何かが変わって行っているのです。





               合掌   



                




☆‥…─━━‥………‥☆彡今日のひと言……‥‥━━─‥…☆



2月12日





此処が先途、



大事な分かれ目、瀬戸際と自身に刻み……







日頃の積み重ね……


逆境の渦の中で翻弄されている時には、



流れが悪い方へばかりに流れ、



好機など来るはずもないと憶いがちです。




刻々変化してゆく境遇の中で、



幸せを運ぶ小さな流れに気づかずに、



その場所に止まってしまうのです。




迷いの闇の中で、



悩みは尽きないものですが、





しかしながら、



此処が先途、



大事な分かれ目、瀬戸際と自身に刻み





小さなことにも素早く気づく、



広い視野と柔軟な心を、



日頃の積み重ねの中で、育みたいものです。
                 

        
                合掌










☆‥…─━━‥………‥☆彡今日のひと言……‥‥━━─‥…☆



2月13日





過去を悔いて、過去に囚われ、



未来を愁い、かえって、未来に囚われてしまう……








過去を悔いて、過去に囚われ、



未来を愁い、かえって、未来に囚われてしまう……





人の一生の幸、不幸も、その心次第と申しますが、





これは、境遇の問題ではなくして、



対処するその人の、心の問題なのかもしれません。




道を歩く「 私 」の居場所は、



幻想の未来ではなく、



ましてや、自分を責める過去でもないのです。





今、この時、



この一瞬を生きる、



その「 心 」を持ち続ける……。




「 今 」




「 ここ 」




「 この場所 」にしかありません。




           合掌           








☆‥…─━━‥………‥☆彡今日のひと言……‥‥━━─‥…☆



2月14日 





人の「 こころ 」というものは……









人の「 こころ 」というものは、



たちまちのうちに、



何かに囚われてしまう習性を持っているのです。




忍土とも云われるこの世から分離され、



孤立した自己を作ってしまうのは、



仕方がないにしても、





それが為に、



その部分に固着してしまうが故に、





視野が狭くなり、



小さな気づき、可能性に、



気づかなくなってしまうのです。




問題の確信はそこではなく、




逆境の時には、



その人の、ものの考え方、受け止め方が、



人生の歩き方に出てくるということです。




八方塞がりの時こそ、



全体を広く透徹して観ることで、



道筋が見えてこようというものです。






             合掌 





             


☆‥…─━━‥………‥☆彡今日のひと言……‥‥━━─‥…☆



2月15日





百年の愁いを忘却するどころか……





洋の東西を問わず、古今を通じ、



わが心を悩ます、この愁いの根源は、



いずこから来ているのか……と、



聖人賢者は、「 こころ 」を悩ませてきたのです。




心の奥底に潜む、



根源的な問題を観取しないで、



そこに踏みとどまっていては、





それこそ、



百年の愁いを忘却するどころか、



人の悩みや苦しみは解決しないのです。





すべてが無価値、偽りの事態に絶望し、



それゆえの心身の疲労と孤絶ゆえに、





その時々の状況、



ある種のニヒリズムに身を任せていては、



世流れするばかりです。





       合掌
          






☆‥…─━━‥………‥☆彡今日のひと言……‥‥━━─‥…☆



2月16日


生きる上での、羅針盤のようなものがあれば……




「 意識 」という日本語は、

「 自己意識 」、「 注意 」、「 心 」

「 魂( sou l)  」という概念を意味するようです。


「 心 」という言葉は、日本語特有の概念であり、

英語で、「 心 」に上手く対応するような、

言葉はないそうです。



怒り、憎しみ、哀しみ、不安等など、

思考が生み出す、

普段、私共が意識と呼んでいる、



喜怒哀楽の感情を始めとする、

膨大な情報の集合体……。




この諸々の意識の根本問題については、



生きる上での、

羅針盤のようなものがあれば、


急がなくてもよいものに、

慌て急いだりすることもないのですが、



いわゆる道標、

道しるべとなる拠り所が見つけられなければ、



心が常に波騒いで、

安らかな境地を感ずることもなく、



この意識の囚われから、

完全に抜け出すことは難しいのです。



             合掌   

                              




☆‥…─━━‥………‥☆彡今日のひと言……‥‥━━─‥…☆



2月17日  

 



「 心身の問題 」として、

深く探求されてきたこの難問は……





従来の西洋哲学で、

「 心身の問題 」として、

深く探求されてきたこの難問は、


現在、

脳科学、物理学、実験心理学や、

哲学で扱う「 クオリア 」等など、

さまざまな分野で進んでいるようです。 



脳科学では、

活動を停止した脳には意識が無くなるとされ、



したがって、

魂の存在は認められないとされて来たのです。



しかしながら、

近年では、魂のようなものの存在、



これを示唆するような現象ともいわれる、

いわゆる、臨死体験等、

神経基盤について多くの事が解明されてきております。




しかしながら、そうは言っても、


コンピュータは、

「 感情 」、「 気持ち 」、「 おもいやり 」等など、



人間の意識のように、

複雑な思考は持ち得ないのではないだろうか……などと、

憶うことが夥多あるのです。




         合掌 








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   ■「こころの磨き砂」





自然の巡り、移ろいに、

時の流れをたくした、鴨長明の「時」の感覚。



この人生には、

分からない事は、それこそ沢山あります。


理解できない、不可解なこと、

つまらない事も、沢山ありますが、


その人生の虚しさを、

快楽で満たす事は出来ないのです。


やがては、泡のように消えてしまう、

それらは、結局は、空の空であって、

確実なものではありません。



鴨長明は 、『方丈記』 の中で、

池や湖沼とは異なる、水の流れを書いています。




ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。


よどみに浮かぶうたかたは、


かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし




この書き出しで、移りゆくもののはかなさを語った後、


とうとうと流れる、河の水の様子から、

「無常」という仏教の言葉に憶いを重ね、


常に同じものは、この世には無いと感じ、

『 方丈記 』 冒頭の文章を、書き始めたと解釈されています。 



自然の巡り、移ろいに、時の流れをたくした、

鴨長明の「時」の感覚は、


幾星霜を経ても、人々の共感を得て、

心に響くものです。



鴨長明の生きた時代は、戦乱が多く、


天災や火災も多かったことが、

『方丈記』の中に描かれています。



これらの人々の家が、呆気なく崩れ去るのを、

何度も見ているようで、



「 たましきの都のうちに、棟を並べ、甍を争へる、


高き、卑しき、人のすまひは、世々経て尽きせぬものなれど、


これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。


あるいは去年焼けて今年作れり。


あるいは大家滅びて小家となる。住む人もこれに同じ。


所も変はらず、人も多かれど、


いにしへ見し人は、二、三十人が中に、

 

わづかにひとりふたりなり。


朝に死に、夕べに生まるるならひ、


ただ水のあわにぞ似たりける。


知らず、生まれ死ぬる人、

 

いづかたより来たりて、いづかたへか去る。


また知らず、仮の宿り、


たがためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる 」




後半には、自らの草庵での生活が語られ、

末文では、自らの草庵の生活に愛着を抱くことさえも、

悟りへの妨げになるとして、否定していますが、



自らに重ねてみます時に、

至らぬ我が身を、反省するばかりでございます。



随分、昔の事になりましたが、

古典が好きだった私は、


日本三大随筆の一つと評される、


『 徒然草 』、『 方丈記 』、『 枕草子 』の作者の、

居を辿り、『 徒然草 』にあっては、


一時期、この辺りであろう場所に、

住んだことがあります。



清少納言は、出家、往生を遂げたと伝えられる、

京都市中京区新京極にある、誓願寺さまの近く。



『 徒然草 』の吉田兼好にあっては、

京都市右京区仁和寺近くの双ヶ岡。

御室といった方が、分かりやすいかもしれません。



鴨長明にあっては、一丈四方、文字通り、


( 方丈 )の狭い庵を結び隠棲し、

 

 

出家、往生を遂げたという。


今の京都市伏見区日野町。


今でも時折、懐かしさゆえに訪れる事があります。


鴨長明『方丈記』……
幾星霜を経ても心に響く、水の流れ……のこと

                         ( 2014年7月29日 )


                合掌





・自然の巡り、移ろいに、
 時の流れをたくした、鴨長明の「時」の感覚。


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  ☆彡・編集後記






★…御身お大事になさいますよう……不乙










・撮影場所



2023年8月21日~9月3日 

個人的に-「 哲学の道 」-とも憶う散歩道にて……





※記事に掲載されている文章、和歌、画像は既に出版されている
ものもあり、無断転載・引用はご遠慮下さいますようお願い申し
上げます。どうぞ、おくみ取りくださいまして、
よろしくお願いいたします。