1/2日~1/12日 今日のひと言ー憶いでの一葉から 青年たちへ遺す、この国の記憶…… | 左藤無憂樹―生きる命をつなぐ蓮の絲…いのちの記憶

左藤無憂樹―生きる命をつなぐ蓮の絲…いのちの記憶

この流転する娑婆世界に、重荷を背負いながらも、
懸命に道を尋ねる心魂に、微細ではあっても、
生きる命をつなぐ蓮の絲……。

然(さ)ればこそ、
生きているよろこびも、心を塞ぐ哀しみも……
ともどもに、心にとどめて、
この娑婆世の道を歩いております……。

2020年(令和2年)1月12日-00319号
☆・・・・・・‥…‥─━━─‥…‥…─━━─‥‥…・・・・・・☆

 

枯れ果てて、散るのではありません。

 

 

この世は、かりそめの宿-

 

ならば-春さらば-と、すがしく散る、

 

万朶の桜のひとひらにこころ学びたいものです。

 

 


今までも、このように生かされ、

 

そして、生きて参りました。

 


 師 承真尼婆子の後ろ姿を追いつ、

 

婆子の踏み跡を行きつ戻りつ……。

 


ひたすらに生きようとする、

 

盲目的意思を感じながらも、

 

深遠な真理を未だ識り得ない我が身の、

 


自分の愚かさに、

 

明けることのない夜……「無明長夜」を憶います。

 

 


だからこそ、人は心の遍歴と軌跡の中で、

 

心の樹海を彷徨い歩くとも、

 


無明長夜を照らす生きる灯火を、


心の旅を開く鍵を、

 

人生の道すがらに求めようとするのです。

 

 

 

 

☆ 左藤無憂樹─生きる命をつなぐ蓮の絲……☆彡


vol.00319  2020年1月12日(日)配信 


2020年元旦 比良山山頂より 午前7時20分
 

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 ☆彡・最新の今日のひと言


★…2020年1月2日 今日のひと言

─この国に生まれ、この国に生きる……
青年たちへ遺す、この国の記憶……維摩詰居士へ  


★…2020年1月3日 今日のひと言

─雪まじりの寒風吹き荒ぶただ中で 、
 平常心を維持できるか、否か……


★…2020年1月4日 今日のひと言

─心に余裕がなく、手一杯……。


★…2020年1月5日 今日のひと言

─誤解を恐れて、黙ってしまうことが……


★…2020年1月6日 今日のひと言

─父は打ち、母は抱いて悲しむを、
 違う心と子や憶うらん―


★…2020年1月7日 今日のひと言

─「 霜夜の鶴 」でも申し上げましたが……


★…2020年1月8日 今日のひと言

─つくづく憶うこと……。
日々の暮らしの中での、飾り気のない普段の姿。


★…2020年1月9日 今日のひと言

─道の後先を歩く人に捉われることなく……。


★…2020年1月10日 今日のひと言

─つくづく憶うこと……。
日々の暮らしの中での、飾り気のない普段の姿。


★…2020年1月11日 今日のひと言

─よそ行きの貌ではなく……


★…2020年1月12日 今日のひと言

─自己過程という自分に気づく道のりでもあるのです。

 


 ☆彡・ 憶いでの小筥から……今日のひと言


★…2016年1月22日 今日のひと言

―いのちの根っこを見つける旅……。

この娑婆世間で、
人と関わって生きていく以上、
至上命題として、心得るもの。
◆人生の旅の途中……。


★…2016年1月23日 今日のひと言

─春探し……二首詠
◆人生の旅の途中……。


★…2016年1月24日 今日のひと言

─ため息をつきながら、この人生の道中を歩くよりも……

絵本 『 花さき山 』 が語るもの……
◆命を愛おしむ……


★…2016年1月25日 今日のひと言

─運命の道標 迷い惑ったら、
小休止しても良いのではありませんか……
◆命の道標 

 

★…2016年1月26日 今日のひと言

─運命の道標 
病を得る……人生の浪人生活‥など、
この人生の細道を途中下車しても……
◆命の道標 


★…2016年1月27日 今日のひと言

─運命の道標  しあわせは、追いかけるものではありません。 
◆命の道標 

 

★…2016年1月28日 今日のひと言

─運命の道標 いわば、人生の細道にあっての道標 ……

六地蔵さまが立っておられました……
道に迷うことなく、真っ直ぐに進むように……と願って、
お立ちになっているのだと知りました。
◆命の道標 


★…2016年1月29日 今日のひと言

─運命の道標 それぞれが、それぞれの自分の花を咲かせ……
育った環境や、その後の歩いた道が異なろうとも……
◆命の道標 

 

★…2016年1月30日 今日のひと言

─運命の道標 野に咲く百合は、野の百合の香りを放ち……
世の人に知られようが、知られまいが……
◆命の道標 

 


  ☆彡・こころの磨き砂


★…2016年1月31日 今日のひと言

─運命の道標 やがては、命を終えてゆきし……この道

かつて、道の分岐点にお立ちになって、
ゆく末を見守ってくださっていた六地蔵様。
◆運命の道標 

 

  ☆彡・編集後記


★…貧富、賢鈍分け隔てなく、
お互いに親しく睦(むつ)み合う月……
  

 


☆‥…─━━‥………‥☆彡今日のひと言……‥‥━━─‥…☆


山田寺の仏頭 こういう貌で生きて行ってほしい……

 

夢から、宿命、そして、運命の道へと……
2014年12月31日◆人生の旅の途中……。
 


1月2日


この国に生まれ、この国に生きる……

青年たちへ遺す、この国の記憶……維摩詰居士へ  

 

未来は、過去の延長ではありません。


風が吹けば波も泡立つ世の中。

どんなに苦しみあがいて、この忍土の世を歩こうが、

この世には平坦な道などないのです。


息の切れる上り坂と同じ数だけ、

人生には同じ数以上の下り坂があるのです。


しかしながら、その逆境や、苦しみ、悲しみ、

ささやかな幸せが人間の心を練り、養い育てるのです。

 

波の中に波渦巻いているようなこの娑婆世。


為政者の御方々に申し上げたいことは、


経済の目標は、数字の高下ではなく、

人の心を豊かにする、

その先に帰一しなければならないのです。

 

大空を鳥が迷い、木の葉が沈んで、

石が流れるような世の中であってはならないのです。

 

民意を聴くとは言っても、声にならない国民(くにたみ)の聲が、

どれほどまでに届いているのか。

 

そのような中にあって、道を探す我にあっては、

生きる目的と、生きがい、その違いを、

生きているうちに明らかにすること。


かつて、この国が戦のさ中にあって、まさに戦いに敗れようとする時、

苦悶の末、意義を昇華して、数多の若者が身を挺した歴史があるの

を、幾星霜、歳月が流れようと忘れてはならないのです。

 

いわゆる大正時代は、近代の年号の中で15年間という最も短い期間

であり、大正生まれの若者たちの動向は、歴史の波に流され、

今となっては語り継ぐ人も少なくなりました。


様々な資料から、太平洋戦争時に主力となって戦った大正生まれの

世代は、今の19歳から33歳のまさに、

青雲の志を抱いていたであろう青年達……。


大正時代に生を受けた男子は、

資料によればおよそ1348万人ともいわれます。

 

全体の7人に1人が……戦死……

 

実に200万人ともいわれる青年達が、夢を叶えることもなく、

命を全うすることなく、

殉難のために非業の最期を遂げている……。


残りし者たちは、焦土の中から這い上がり、

黙々とただひたすらに労苦を厭わず働き続けた……。

 

時代背景としては、高度経済成長期にあたる壮年期には、

東京オリンピックや、オイルショックを経験した。


昭和から平成へ元号が改元された時、

大正世代は全員60歳の齢を超えていたとのこと。


国難に殉じた青年たちが、今の世に生きているのであれば、

この多くの青年たちは、夫々の夢を抱きながら、

どのような人生を歩んでいたのであろうか……と、憶います。

 

未来ある青年たちへ、


基本(もと)を務めずして、誤って葉を摘み、


枝を尋ねる事があっては、ならないのです。

何が事柄の本質なのか、何が誠なのかを見極める、

その智慧を身の内に、肚に落とすこと。


いわゆる、本物と偽物、

真贋を見極める眼力を身につけることです。

見極める事が出来たならば、目の前の出来事に一喜一憂したり、

右往左往したりすることはないのです。


今の日本は、あらゆる意味に於いて、コペルニクス的転回によって、

価値観の転換を迫られると同時に、あらゆる分野において、

「パラダイム転換」、いわゆるパラダイムシフトが起こるべくして起き、

生活世界の回復を迫られています。

 

忘れまじ……。

 

歴史と美しい文化、そして伝統に培われた、

日本の風土が産み出した、やわらかな心のありよう。


ゆかしいもの、懐かしいもの、美しいもの……。

潜在的に保持している、自然観、歴史観、死生観、


そして、日本人としての尊厳……。

生まれた国の文化に誇りと敬愛の心を忘れてはなりません。

 

既に申し上げていることではありますが、

 

老子の言に、


「天下に忌諱多くして、民いよいよ貧し、

民に利器多くして、国家ますます昏し。


人に技巧多くして、奇物ますます起こる。

法令はますます彰かにして、盗賊あること多し。」

「老子」-第五十七章


と、あります。

 

所謂凡俗、貧窮の身である国民(くにたみ)ではあっても、


葉末に結んだその露の一滴のゆくえを、


智で以てしても、推し量ることは誰も出来ません。

 

葉末に結んだ一滴が、やがては大いなる大河のうねりの中へ、

呑み込まれてしまう自然の摂理だとしても、

 

未知なる世紀の扉の向こう側には、
不安があるだろうけれども、

 

この国に生まれ、この国に生きる青年達には、

母なる祖国日本がこれまで紡ぎ繋いできた、


歴史と文化に誇りを持って、

確かな一歩を踏み出してほしいと切に祈っております。

 

後生の一大事の道を、世の東西南北に尋ねても、


「人」に逢わなければ、


どう生きても、角が立ち、世流れしてしまうものです。


人も、どこから来て、どこへ去ってゆくのか。

世の憂きこと多くして、空を仰ぐことがありますが、

 

わが心を導くものとはなっても、

心のなるがままに導かれてはならないのです。


計らいによらず、誇りを持って、

揚々として、目の前の道を切り拓いていってほしいと願っております。

 

夜半、寒さに身を屈めながらも、安寧平和を心から願いつつ。 合掌


 


☆‥…─━━‥………‥☆彡今日のひと言……‥‥━━─‥…☆

 


群れ飛ぶ2017年2月16日  琵琶湖岸 打出浜にて
2/16日 今日のひと言ーユリカモメ 春や荒ぶる……
2017年02月16日 ◆命を愛おしむ……
 

1月3日    雪まじりの寒風吹き荒ぶただ中で、

         平常心を維持できるか、否か……

 

往往にして、

平常の時には、


細やかな気遣いや、言葉遣い、

相手への心配りなど等、誰もが頑張れるのです。

 

しかしながら、

ひと度、人生の予期しない嵐、


雪まじりの寒風吹き荒ぶただ中で、

平常心を維持できるか、否か……


伝分、風聞に惑わぬ自分でいられるか、否か……


修羅、羅刹のこころに陥らずして、


不退の菩薩の境地を帯同して、

この道ゆきを歩いてゆけるか……です。合掌

 


☆‥…─━━‥………‥☆彡今日のひと言……‥‥━━─‥…☆



喜多方織物 2018年7月1日  

喜多方 「 染織工房 れんが 」 さまにて
暮鳥が詠む 蒼穹ここにあり……母の憶い出。完

 

1月4日    心に余裕がなく、手一杯……。

 


背に負う荷物の負担が大きくて、

心に余裕がなく、手一杯……。


この困難な状況の中での、

艱難辛苦は辛いものがあります。


身の裡に溜め込んで、

結局、我慢の限界を超えて、


八方塞がりのなかで、解決策が見出せず、

精神的にパニックに陥ってしまうのです。合掌


 

☆‥…─━━‥………‥☆彡今日のひと言……‥‥━━─‥…☆

 

京都 種智院大学近くにて
水張りの 田んぼの上を ツバメ 飛び……

2017年6月11日◆このささやかな良きこと……

 

1月5日   誤解を恐れて、黙ってしまうことが……

 

誤解を恐れて、黙ってしまうことが、

さらなる誤解を招いてしまうのです。

 

嵐の中から出て、

客観的に、この状態を見極め、

どうしたらこのその状況を改善できるのか、


先ずは、一旦、本来の我に還り、

冷静に思考をリセットしてみることが大切です。合掌


 

☆‥…─━━‥………‥☆彡今日のひと言……‥‥━━─‥…☆



広島県福山駅前 白ばら喫茶前にて

その姿を、命の道標にかさねつ……
2017年8月6日◆命の道標 


1月6日   父は打ち、母は抱いて悲しむを、

        違う心と子や憶うらん―

 

憶うこと……


子どもは、親の姿を視て育つものです。


いわゆる夫婦喧嘩……

互いの権力、支配関係に基づく「暴力」が吹き荒ぶ中で、

子どもの心は如何ばかりでしょうか……


自分は将来、

同じような家庭を持ちたいとは憶わないでしょう……

 

子どもに対して、

互いの感情、いわゆる、毒を吐き出してはいけません。


―何の酬(むく)いも求めず、

道に迷わぬよう、


ひたすら、わが子の幸せを見守り、


灯台の光のように導いてくれる、父母の恩愛……。

 

―父は打ち、

母は抱いて悲しむを、違う心と子や憶うらん―


時代を超えて、魂を揺さぶられる言葉です。


わが命が尽きても、わが子の心身の幸福を願い、


護ろうとするのが 父母の心恩愛なのです。合掌


 


☆‥…─━━‥………‥☆彡今日のひと言……‥‥━━─‥…☆



幻想椿 
背負ってきた水の重さを、人の世を生き抜く智慧にかえて……。
2018年2月6日◆この心の動くところ……

 

1月7日  「 霜夜の鶴 」でも申し上げましたが……

 

「 霜夜の鶴 」でも申し上げましたが、


―何の酬(むく)いも求めず、

道に迷わぬよう、


ひたすら、わが子の幸せを見守り、


灯台の光のように導いてくれる、

父母の恩愛―

 

―父は打ち、

母は抱いて悲しむを、

ちがう心と子や思うらん―


時代を超えて、

魂を揺さぶられる言葉です。

 

親の命が尽きても、

わが子の心身の幸福を願い、


護ろうとするのが、

父母の心なのです。


子がひたすら頼るのは、

父親であり、母親であります。


元始より、「この人と幸せになりたい……」と出逢った二人なのですから、


人生で今が一番辛い時としても、

一緒に泣き、哀しみ、その道々の荷物を負うことで、

お互いがかけがえのない存在だと気付き、絆が深まるのです。


人間というのは、幸せな時分より、逆境でこそ絆が強まるようです。


夫婦というのは、

大海原を木の葉に乗って航海するような修行でもありましょう。合掌


 

☆‥…─━━‥………‥☆彡今日のひと言……‥‥━━─‥…☆



広島県福山市 鞆の浦 鞆の浦舟
夕凪(ゆうなぎ)鎮む 鞆の浦海……
2017年3月31日◆この心の動くところ……

 

1月8日   ましてや、過去へ遡って、

         あの時の自分を探し求めても……

 


人間の考えというものは、放っておけば、

どんどん偏狭で、

 

自閉的な世界に入り込んでしまうということを、

ことさらに、意識することです。


広く外にむかって押し開く力を失いやすく、

真っすぐな道を見誤って、

ひと筋、道を違えて歩いているようなものです。


目の前に続く道が遠い―とばかりに、

近場の露地に入りこんでは、

ますます道に迷うばかりです。


逃れようとしても、途方に暮れるばかりです……。


未来を追いかけて、

見つけられるものではありません。

 

ましてや、過去へ遡って、

あの時の自分を探し求めても、


かつての踏み跡さえ、見つけ出すこともできません。合掌


 

☆‥…─━━‥………‥☆彡今日のひと言……‥‥━━─‥…☆


広島県 福山大学にて 御精霊……帰り来る 父母の御霊に 火を焚きて……
2017年8月13日◆人生の旅の途中……。
 

1月9日  道の後先を歩く人に捉われることなく……。

 


生きている限り、避けることの出来ない、

憶うままにならない娑婆世の常。


気を抜けば、そのうねりの中に呑み込まれ、

翻弄されてしまうものですが、

 

境遇を嘆かず。

今の自分を否定せず……。


何をやっても八方塞がり、評価されない……


このような不遇な環境、人生の蹉跌に遭っても、

決して諦めない。


やがて来るその時に備えて、持てるものを磨く。


自分の指の指し示す先の山に向かって、

迷うことなく歩いてゆく。


道の後先を歩く人に捉われることなく……。合掌


 

 
☆‥…─━━‥………‥☆彡今日のひと言……‥‥━━─‥…☆



萩焼  破れ飯茶碗
幸せというものは、日々の努力、精進の絲を丹念に紡いだ結果……
2018年9月19日◆私は、こう憶うのです……。
 


1月10日   つくづく憶うこと……。

          日々の暮らしの中での、飾り気のない普段の姿。


 

つくづく憶うこと……。

 

日々の暮らしの中での、飾り気のない普段の姿。

 

何も考えずに、

普段は気づかないような小さな幸せ……。


生きるということは、

毎日、命の種を蒔いて育てて、


その育ち具合を、命のノートに記しているようなものです。


昨日から、今日、

そして、明日へと、その積み重ねなのです。合掌


 


☆‥…─━━‥………‥☆彡今日のひと言……‥‥━━─‥…☆



一炊の胡蝶……
「いやぁ、トンネルの中で散々迷ったけれども……
2017年10月3日◆達磨面壁九年、人間一生……。

 

1月11日   よそ行きの貌ではなく……

 

よそ行きの貌ではなく、


普段そのままの貌で、

素直に歳を重ねて生きることです。

 

神仏に、灯明、お閼伽を供え、

決して、豊かともいえない暮らしの中でも、


今日一日、無事に生かさせて頂いたことへの感謝と、

息災な明日への願いを、身の丈に応じてすることです。


一人一菩薩の行を、安らかな心でさせていただくのです。合掌


 

☆‥…─━━‥………‥☆彡今日のひと言……‥‥━━─‥…☆

 

広島県 尾道にて 展望台から瀬戸内を望む
雪の残る若狭路と、夕凪(ゆうなぎ)の瀬戸海を訪れて……
2018年3月8日◆この人の世を、生き、生きて憶うこと……


1月12日  自己過程という自分に気づく道のりでもあるのです。

 


閉塞感の真っ只中にあっての決断は、

物ごとを必要以上に重要視して、

事の本質を見誤る場合が往々にしてあります。

 

そういう場合の決断は、

それを否定的な現象としてのみ捉えるのではなく、


自分の心の中に染みついて、

捉われてしまう感情から、一旦、離れてみることです。


自分自身の心の揺らぎ……。


客観では算出できないのが、

娑婆瀬に生きる人間の、割り切れない世界でもあります。


ある意味、この人生の来し方、

ゆく道と申しますのは、

自己過程という自分に気づく道のりでもあるのです。合掌


 


・‥……─━━…‥…‥憶いでの小筥から‥…‥…━━─…‥‥


2016年1月22日


いのちの根っこを見つける旅……。

この娑婆世間で、 人と関わって生きていく以上、
至上命題として、心得るもの。

◆人生の旅の途中……。

 


真冬厳しく、

春の便りが聞こえるのは、

今なお雪に覆われているにしても、

確かに、春は近い……。


心ころころ、

氣もそぞろに移り変わるのですから、

それにとらわれて、

流れるものを掴んでも、仕方がありません。


過ぎ去った過去を煩うことなく、

残り痕にも、引きずられることなく。


この人生の細道は、

困難を乗り越え、

いのちの根っこを見つける旅……。


この娑婆世間で、

人と関わって生きていく以上、

至上命題として、心得るもの。

 

一寸やそっと、

揺さぶられたとしても、音を上げない。


屈しない意志を、心の芯棒に、

肚(はら)を据える……。合掌


 

・‥……─━━…‥…‥憶いでの小筥から‥…‥…━━─…‥‥


2016年1月23日


春探し……二首詠

◆人生の旅の途中……。

 


雪柔ら

 

その玉水に

 

微笑みて

 

小さき佳人は

 

ひそと春待ち

 

2016年1月23日  早朝  詠


 

春探し

 

鳥の啼き音に

 

振り向けば

 

比良の峰々

 

雪に埋もれ

 


2015年1月23日 早朝   詠


 

ここ10日間ほど、風邪をこじらせて寝付いておりました。

今年の風邪は、高熱はむろん、咽喉と、鼻にくるようです。

幾らか、ましになってまいりましたので、

今朝がた、茶臼山古墳に、

そろそろと散歩に行ってまいりました。


今夜から、また寒波が来るようです。

大寒波から、最強寒波へと変わってまいりました。

皆さま、どうぞ暖かくしてお過ごしくださいますよう……。合掌


 

・‥……─━━…‥…‥憶いでの小筥から‥…‥…━━─…‥‥

 

2016年1月24日


ため息をつきながら、この人生の道中を歩くよりも……

絵本 『 花さき山 』 が語るもの……

◆命を愛おしむ……

 


絵本 『 花さき山 』 が語るもの……


『 花さき山 』「のやまんば……は、あやに話すのです。

あやの足元に咲いている、美しい赤い花、

それは、お前がやさしいことをひとつするたびに、

ひとつ咲かせた花なのだ……と。


咲きかけの青い小さい花は、

それは、双子の赤ん坊の兄が、


母親に抱かれたいのを我慢して、

弟に譲っている為に咲いている花だと。


そして、花にかかっている露……

それは、辛抱している兄の涙だと。

 

辛抱すると、

その優しさと健気さが、花となって咲き出す。


そして、人を憶う優しさは、

花だけでなく、ゆたかに山を彩る。


『 花さき山 』は、切り絵の素晴らしさに加えて、

私の好きな絵本、珠玉の一冊です。


経済効率という物差しでは、

人の心を推し量る事はできません。


他人のことなど考えるゆとりもないような、

世の中のようですが、


思うがままにならない……と、

ため息をつきながら、

この人生の道中を歩くよりも、


ため息を、夢のかけら、

生きる命の力に変えて、


誰のものでもない、

自分の人生を、歩んでほしいと憶います。合掌

 

よいお出逢いがありますように……。
         

 

絵本

 

『 花さき山 』

作: 斎藤 隆介
絵: 滝平 二郎
出版社: 岩崎書店

 


・‥……─━━…‥…‥憶いでの小筥から‥…‥…━━─…‥‥

 

2016年1月25日

運命の道標 迷い惑ったら、
小休止しても良いのではありませんか……

◆命の道標 

 


運命の道標 


先行きが見えず、

未来に希望が持てない……

 

将来どうなるか、

今は予想のつかないこと。

 

将来に多くの困難が予想されたにしても、

前途は誰もが未知数……。

 

たった今、この足元から、

目的地までの道のりを、

どう切り開いてゆくのか、

 

迷い惑ったら、

小休止してもよいのではありませんか……合掌


 


・‥……─━━…‥…‥憶いでの小筥から‥…‥…━━─…‥‥

 

2016年1月26日


運命の道標 

病を得る……人生の浪人生活‥など、

この人生の細道を途中下車しても……

◆命の道標 

 


運命の道標 

 

この人生の細道は、


誰もが納得のいく人生を歩めるものではありません。

 

病を得る……


人生の浪人生活‥など、


ともすれば、運命の道標を見失ってしまいかねません。

 

しかしながら、


この人生の細道を途中下車しても、

 

決して、無効になる乗車券ではありません……。

 

途中の景色も、考え方次第で乙なものです。

 

蹉跌の原因を、

彼の人にも、他所にも求めず、

 

自分をも責めることもないのです……。合掌


               

 

・‥……─━━…‥…‥憶いでの小筥から‥…‥…━━─…‥‥


2016年1月27日


運命の道標  しあわせは、追いかけるものではありません。 

◆命の道標 

 

運命の道標 

 

苦楽明暗の交差する、

この世の中で、

絶対ということはありません……。

 

生まれ来てより、

ゆく先を愁いるような、

暮らしの中に在ったとしても、

 

これより以上が、しあわせで、

それ以外は、ふしあわせ……

などということはないのです。

 

嵐吹きすさむ時、

地上のありとあらゆる場所が、

吹き荒れたとしても、


いたずらに動き回ることなく、

冷静に。

 

ある意味、

追いかけると、人は去ります……。


しあわせも同じ事……


追いかけるものではありません。 合掌



 


・‥……─━━…‥…‥憶いでの小筥から‥…‥…━━─…‥‥

 

2016年1月28日


運命の道標 いわば、人生の細道にあっての道標 ……

六地蔵さまが立っておられました……

道に迷うことなく、真っ直ぐに進むように……と願って、
お立ちになっているのだと知りました。

◆命の道標 

 

運命の道標 

 

私の育った田舎には、

隣の村への分岐点に、六地蔵さまが立っておられました。


その当時は、気にも留めていなかったのですが、

随分後になってから、


道に迷うことなく、真っ直ぐに進むように……と願って、

お立ちになっているのだと知りました。


いわば、人生の細道にあっての道標 ……

 

この人生の細道に迷い、

あちら、こちらの瀬で世流れ、


互いに、許せぬ心が波立ち、

わずかばかりのことで、苛立ち、相争ってしまう。


もっと、もっと……という、心欲しさに、

この限りある身に、無いものまでをも数え、


今、生きているしあわせをさえ、

恩義に憶わなくなってしまう。

 

今の私を否定して、

心を粗末に扱っては、

安心も、しあわせも見いだし得ません。

 

何気ない日常生活……。

失ってみて、人は初めて気づくものです。

 

しあわせは、身近なところで、

今、生きているこの場所にこそ、息づいているのです。

 

未来や、過去へ探し求めても、

追いかけて見つけられるものではありません。合掌


 


・‥……─━━…‥…‥憶いでの小筥から‥…‥…━━─…‥‥

 

2016年1月29日


運命の道標 それぞれが、それぞれの自分の花を咲かせ……

育った環境や、その後の歩いた道が異なろうとも……

◆命の道標 

 


運命の道標 

 

今日という日は、明日へ続く分岐点とも申せます。


この命はどこに向かって、

どのように生きようとしているのか、

 


人は、眼の前にに示された、

幾つもの道標に、心が迷うものです。

 

なかなか願い通りにはいかない、

苦しみの多い一本道ですが、


命の根っこに対峙する時、

人は、生きる原点に立ち還らざるをえないのです。

 

決断がつかず、先が見えない状況にあったにしても、

迷い惑った心を、生きる力に変えて、


昨日から今日、そして、明日へと、

悔いのない一生を送りたいと思うはずです。

 

この世に生まれてきた以上、

育った環境や、その後の歩いた道が異なろうとも、


何ものにも妨げられずに、

それぞれが、それぞれの自分の花を咲かせ、


命を輝かせて、

無碍の道を歩いていけるはずです。

 

「この世は私が私になるところ、あなたがあなたになるところ」と


相田みつを師は、詩っておられます……。合掌


 


・‥……─━━…‥…‥憶いでの小筥から‥…‥…━━─…‥‥

 

2016年1月30日


運命の道標 野に咲く百合は、野の百合の香りを放ち……

世の人に知られようが、知られまいが……

◆命の道標 

 


運命の道標 


野に咲く百合は、

野の百合の香りを放ち……

 

桜の木には、桜の花が咲き、

薔薇の木には、薔薇(バラ)の花が咲く……

 

北原白秋の『薔薇二曲』は、

幾星霜の時を経て、多くの人に愛されています。

 

世の人に知られようが、知られまいが、

不平を言いたてることなく、

天に呟くこともなく、命の限りに咲いています。

 

野に咲く百合は、決して、

薔薇の花や、桜の花と何ら見劣りすることなく、


ちいさい花は、ちいさなままに、
 
命いっぱい、自分の花を、天地に咲かせているのです。

 

極楽浄土の蓮池には、

幻想的な淡い青、黄、赤、白色の、

蓮の花が咲いていると、阿弥陀経に説かれています。

 

青い蓮の花は、青い光を、

黄色の蓮の花は、黄色の光を放っているとのこと……。


それぞれの花は、

それぞれ、自分の花を咲かせているのです。合掌
 

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■「こころの磨き砂」



花筵(はなむしろ)
桜……散りぎわまで美しい、日本の情景です。
2018年4月7日◆櫻花への憶い……。

 

2016年1月31日


運命の道標 やがては、命を終えてゆきし……この道

かつて、道の分岐点にお立ちになって、
ゆく末を見守ってくださっていた六地蔵様。

◆運命の道標 

 

運命の道標 


やがては、命を終えてゆきし……この道


人間の分別、損得、その時々の自分勝手な都合で、

人生の晴れ、雨を判断しているのでは……と、

ひとしきり反省する時、


来し方、ゆく道を前にして、

砂時計の中に残された、

時間の砂粒を量るような憶いがいたします。


この世に生まれてきた以上、


形あるものは、それがゆえに、

やがては、崩れ去ってゆくもの……。


道中、荷物が増える旅ではありますが、

この人生の道は、誰でも未知数であって、

 

たどる道筋は、未完成、完成に右往左往することなく……。


かつて、道の分岐点にお立ちになって、

ゆく末を見守ってくださっていた六地蔵様。

 

やがて、命を終えてゆきし、

この道の分岐点で、


魂の還る道筋を見守ってくださっている……

そう憶うようにしているのです。合掌        

 

 


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◇編集後記


チャイニーズハムスター

小姐(シャオシェ)リンリン ♀1歳4か月

 

貧富、賢鈍分け隔てなく、

お互いに親しく睦(むつ)み合う月……

 

例年は、松の内も過ぎますと、

寒さが一段と厳しくなっておりましたが、

今年は、おだやかな天気が続いているようです。


和風月名は「睦月」(むつき)。


語源や由来については諸説あるようですが、

お正月は、親族が寄りあい、

仲睦まじく睦び合う「睦び月」(むすびつき)こと、

互いに親しみ合うなどの意味を持つようです。


貧富、賢鈍分け隔てなく、

お互いに親しく睦(むつ)み合う月……


いわゆる天地和睦(てんちわぼく)のように、争いをやめて、


親しみあうことができないものかと、

家庭から社会、国家間に至るまでの、

安寧を祈っているのですが……

 

この娑婆世には、持てる者、持たざる者、貧富、賢鈍等など、

ありますが、そういったいわゆる、差別を離れたところの命、


空を漂い渡る月が、地上の隅々にまでその光を至らせるように、

月の光を受けた命が精いっぱい輝ける分け隔てのない、
世の中になれないものかと、

 

取るに足らないものですが、

昨今の世情を愁うるあまりに、

静かに心に響くものを憶い、。 胸を痛めております。

 

暖冬とはいえ、

やはり冬の厳しい寒さは身に染み入ります。

 

寒さはこれからが本番。

 

お風邪などひかれませんように。拜

 



  



※記事に掲載されている文章、和歌、画像は既に出版されている
ものもあり、無断転載・引用はご遠慮下さいますようお願い申し
上げます。どうぞ、おくみ取りくださいまして、
よろしくお願いいたします。