えっと、きょうはイエスさまの弟子の中の一人、

ペテロさんのおはなしをしたいと思います。

 

ペテロさんは聖書では色々と登場回数が多いですよね。

イエスさまの12弟子の中では、たとえばバルトロマイさんとか、あの方はなにをしたのでしょうか?よく分かってないですよね。

伝承によると、バルトロマイさんは、タダイさんと一緒にアルメニアという国に行って、そちらで伝道をしたとか言う話で、

アルメニアでは有名人らしいです。

また、タダイさんの本名は「ユダ・タダイ」というらしいです。ユダというとどうしても、イエスさまを裏切ったあの「イスカリオテ」の方のユダさんの方が超有名なので、あまり「ユダ・タダイ」では呼ばれなくなったらしいとか、いろいろありますが、それ以前に影が薄いというか扱いが雑というか、まあ12人も居ればそういう「モブ扱い」の人もでてくるのかなぁ、なんては思いますね。

 

それはさておき、きょうのお話はマタイによる福音書14章です。

イエスさまが神さまにお祈りしています。

聖書の中には、イエスさまがたびたびこうやって、ひとりになって神さまにお祈りしている場面が描かれています。

あのイエスさまでさえこれだけひとりでお祈りしているのですから、わたしたちはもっともっと神さまにお祈りしていかなければいけない訳なのですが、

 

このときのイエスさまは

皆さんご存じ、「5つのパンと2匹の魚」の奇跡のすぐあとだったようです。

聖書の中では「男の数が5,000人」と書かれていますので、女性子どもを含めると1万人以上居たはずです。その人たちに対してマイクも無い時代にお話されたのです。どうやったのでしょうねぇ。

で、その奇跡のあとに、一人寂しいところに残って神さまにお祈りしていたわけです。

22節には「 それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗り込ませて、自分より先に向こう岸へ行かせ、その間に群衆を帰してしまわれた。 」と書いてあります。先に弟子たちを湖の対岸へ渡るように申しつけたようです。

 

イエスさまの伝道は、皆さんご存じの通り、ガリラヤ湖(テベリヤ湖)の回りをグルグル回りながら、神さまの話、悔い改めの話をしていたわけです。

で、なにか用事があって、そのガリラヤ湖の反対側に渡らなければ成らなくなった、と。

 

イエスさまの弟子たちには、ご存じの通り漁師がいますね。そうじゃない取税人とかもいますが、それまで毎日ガリラヤ湖で魚を捕っていた人も居たわけですから、まあ、「自分の庭」のような場所だったわけじゃないですか?

 

ところがです。

ガリラヤ湖(テベリヤ湖)というのはすぐそばに大きめの山が有り、そこから吹き下ろしてくる風が、結構吹いてくるのです。

で、この夜も、その吹き下ろしの風で、湖面が逆巻く波のせいで大変な事になったようなのです。

それでもう、これは大変!と言う事態になったそうなのですが、でも、ガリラヤ湖を「自分の庭」のようにしていた漁師もいたはずなのに、どうしていたのでしょうねぇ?

とにかく、ものすごい風と波でどうにもならなかったそうです。

しかし、舟は、陸からもう何キロメートルも離れていたが、風が向かい風なので、波に悩まされていた。 

と24節には書いてありますね。

 

そこへです。

その荒波に漂っている船に、だれか近づいてくる人が居たのです!!

きゃー!オバケか幽霊か!!!

 

しかし、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」と言われた。 

 

って言われも、ねぇ。夜中の3時頃だって記述されていますよ。

2千年前の電気の無い時代、今以上に真っ暗だったはず。そんなときに湖面を近づいてきたら、怖いに決まっています!

船で近寄るならともかく、湖の水面を歩いてきたのです!イエスさまは!!

 

それをみて、ある人がこう言い出します。

すると、ペテロが答えて言った。「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。」 

 

何を急に言い出したのでしょう?イエスさまに会えた安堵感からでしょうか?それとも、イエスさまに出来たのだから、自分でも出来る!って思ったのでしょうか?

イエスさまは「お前には無理!」とか言わないで

イエスは「来なさい。」と言われた。そこで、ペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスのほうに行った。 

と言ったのです。

 

ペテロさんも、イエスさまのように、湖の水面を歩き出したというのですね。

で、これでペテロさんがイエスさまと一緒に水の上を歩いて対岸にまで行ったというのならば、それはそれで面白いお話なのですが、

そういう風には成りませんでした。

 

ところが、風を見て、こわくなり、沈みかけたので叫び出し、「主よ。助けてください。」と言った。 

 

なんとそのまま水の上を歩くことが出来なくなって、沈みかけたというのです。理由は「風を見たから」。

強く吹く風、逆巻く波をみて、ふっと恐怖心が戻ってきたらしいのです。で、沈んでしまい、イエスさま、助けて!!と叫んだのです。

 

もちろんイエスさまは引き上げて助けます。

そのときに、イエスさまはペテロさんにこう言いました。

「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」 

 

そして引き上げれたペテロさんとイエスさまは、弟子たちの乗っていた船に乗り移られたということです。

そして、ふたりが舟に乗り移ると、風がやんだ。 そこで、舟の中にいた者たちは、イエスを拝んで、「確かにあなたは神の子です。」と言った。 

イエスさまは他の盛暑箇所で、「嵐を叱った」とされる場所がありますね。この時には「嵐を叱った」訳では無いのですが、途端にかぜがやんだそうです。

 

 

さて、きょうのこの箇所の一番の問題点は

さきほど取り上げましたイエスさまの台詞

「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」 

という言葉です。
 
イエスさまが水の上を歩いていたというのも、信じられないことだし、凄いことなのですが、今回は「まあ、神さまの子どもだから」ということにして、取り上げることをパスします。
問題なのは、「ペテロさんも水の上を歩いた(歩けた)」ということです。
 
イエスさまが水の上を歩いている様子を見て、ひょっとしたら自分も歩けるのでは?と思ったわけです。
で、
 
で、イエスさまがOKして、水の上をあるいたのです。ですが、
強い風が吹いたり、逆巻く大波を見た途端に、「ふっと我に返ってみた」のでしょうねえ。
急に恐怖心がわき起こってきたようです。
 
イエスさまを信じて、イエスさまが出来ると言われることならなんても出来る!と信じていたから、水の上を歩いたのに、強い風や大きな波が来たら「ひょっとしたらダメかも!」と言う風に思ってしまい、沈んでしまったというわけです。
 
私たちはほんとうに、「神さまが助けてくれる!イエスさまが助けてくれる!!」って信頼しているでしょうか?
嵐や風や波のように、様々な心配事がわたしたちに押し寄せてきます。
仕事や学校、人間関係など、毎日色々な困り事があるわけです。このコロナとか戦争とかもそうですね。もうどうしたら良いのか分からないことがたくさんあって、どれも心配になってくるわけです。
 
そういう山ほどある心配事に一々目を留めるのではなく、イエスさまに目を向けて、それら諸々の問題をイエスさまに委ねることが一番大事なことなのですよ。
どんな心配事があったとしても、イエスさまに任せれば大丈夫だ!イエスさまがなんとかしてくれる!!って。
 
だって、ペテロさんは水の上を歩いたんですよ!
イエスさまのことを信じた結果、水の上を歩くという「奇跡」を行えたのです。
だから、そのまま信じていれば、そのまま湖の対岸まで行けたのです。ですが、風や波を見て「やっぱりダメだ!」と思ったわけです。
 
わたしたちに求められていることは、イエスさまを「信じるのか信じないのか」ではなく、イエスさまを「信じ切ることが出来るかどうか」ということです。すべてを委ねて、すべてを信じ切ることが出来れば、たとえ水の上でも歩くことが出来るということなのです。
しかし現実は
奇跡が出来ないのは、わたしたちの神さまへの信仰が、神さまへ委ねるという心が薄いということです。
ですから私たちのすべきことは、イエスさまにもっと委ねて行くべきだということなのです。
 
強い信頼(信仰)をもってですね。