キリスト教の教会っていうのは、どういうところでなんでしょうねえ?
まあ、一般的な教会のイメージってこんな感じですかと。
じっさい、こんな「絵に描いたような教会」ってのは
最近の日本ではほとんどは「よく見ると結婚式場」だったりします。
長崎とか伝統がある場所だと、ちゃんと教会だったりしますが。
じゃあ教会っていったい何やっているところなのかっていうと
日曜日に集まって賛美歌歌ったり、なんかお話を聞いているイメージですが、
それらは大体は当たっています。
では聖書では、教会のことをどう書いてあるかというと、
教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。
エペソ人への手紙1章23節
教会とは建物、集合場所のことではなく、
「教会という集まり自体がイエス・キリストの体である」と
使徒パウロは書いています。
なので、その教会に集う一人一人は、イエス・キリストにつながる者として、
小さい子どもから大きな?お年寄りまで、「みんなが兄弟姉妹」として、仲間として
みんなが大切であり、神様にとって、わたしたちにとって、かけがえのない存在であること、聖書に書いてあるのです。
そしてそれは、聖書の書かれた今から2000年前のことだけのお話ではなく、この21世紀令和の日本の教会でも、同じイエス・キリストの霊が働いていて、教会のメンバーは「みんなが兄弟姉妹」なのです。
というわけで、教会とは
もちろん賛美歌を歌ったり聖書を読んだりお話を聞いたりする場所でもあるのですが、
先ほどの通りにイエス・キリストにあって「みんなが兄弟姉妹」であり、
教会の中で助け合ったり、慰め合ったり、苦しみを分かち合ったり、
そういった事もとても大切にしている場所なのです。
さて、今日のお話は、「ピリピ人への手紙」です。
新約聖書は、まず4つの福音書があり、使徒の働き(使徒行伝)で前半はペテロさんの活動、後半はパウロさんの活動を伝えた後
パウロさんが書いた色々な教会宛に書いた手紙が大半になります。
パウロさんが送った手紙のうち、「新約聖書」として採用されたのは、以下の通りです。
たとえば「ローマ人への手紙」とは、ローマにある教会向けの手紙、ローマ教会の信者のために書かれた手紙となります。
これだけの「教会へ送った手紙」と「誰か(特定の人)に送った手紙」が有る中、
パウロがピリピの教会へ送った手紙とは、いったいどのような手紙だったのでしょうか?
この「ピリピ人への手紙」には、よく「喜びの手紙」という副題が付けられることが多いですね。
もちろん執筆者のパウロが付けたわけでは無く、後世の研究者たちが付けた副題です。
4章4節にあるこのことば
いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。
ここはクリスチャンには特に有名な箇所ですが、
17たとい私が、あなたがたの信仰の供え物と礼拝とともに、注ぎの供え物となっても、私は喜びます。あなたがたすべてとともに喜びます。
18 あなたがたも同じように喜んでください。私といっしょに喜んでください。
ピリピ人への手紙2章
このように「喜び」「喜んで」という言葉が多く書かれています。
この2章17~18節のように、パウロは手放しで感情的に喜んでいるというよりは、「決意を持って喜んでいる」状態であるのがよく分かると思います。
で、ピリピという町にあった教会のメンバーはどういう人たちだったかというとですね
14 それにしても、あなたがたは、よく私と困難を分け合ってくれました。
15 ピリピの人たち。あなたがたも知っているとおり、私が福音を宣べ伝え始めたころ、マケドニヤを離れて行ったときには、私の働きのために、物をやり取りしてくれた教会は、あなたがたのほかには一つもありませんでした。
16 テサロニケにいたときでさえ、あなたがたは一度ならず二度までも物を送って、私の乏しさを補ってくれました。
17 私は贈り物を求めているのではありません。私のほしいのは、あなたがたの収支を償わせて余りある霊的祝福なのです。
18 私は、すべての物を受けて、満ちあふれています。エパフロデトからあなたがたの贈り物を受けたので、満ち足りています。それは香ばしいかおりであって、神が喜んで受けてくださる供え物です。
19 また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。
ピリピ人への手紙4章
パウロが伝道旅行を始めた初期から、パウロを金銭面でも物質面でも積極的に支援してきた様子がわかります。嫌々でなく、強いられたわけでも無く、喜びを持ってパウロを支援してきました。またそれらのことをパウロはとても感謝していることが、この手紙の文面から読み取ることが出来ます。
さらにこの「ピリピ人への手紙」の2章では、ピリピの教会から人材の派遣があったことがわかります。
19 しかし、私もあなたがたのことを知って励ましを受けたいので、早くテモテをあなたがたのところに送りたいと、主イエスにあって望んでいます。
20 テモテのように私と同じ心になって、真実にあなたがたのことを心配している者は、ほかにだれもいないからです。
21 だれもみな自分自身のことを求めるだけで、キリスト・イエスのことを求めてはいません。
22 しかし、テモテのりっぱな働きぶりは、あなたがたの知っているところです。子が父に仕えるようにして、彼は私といっしょに福音に奉仕して来ました。
23 ですから、私のことがどうなるかがわかりしだい、彼を遣わしたいと望んでいます。
24 しかし私自身も近いうちに行けることと、主にあって確信しています。
25 しかし、私の兄弟、同労者、戦友、またあなたがたの使者として私の窮乏のときに仕えてくれた人エパフロデトは、あなたがたのところに送らねばならないと思っています。
ピリピ人への手紙2章
パウロは今まで様々な支援を受けてきたピリピの教会に、パウロ自身が駆けつけたいと思っていましたが、それが無理なので、代わりにいつもパウロの側に居たテモテを遣わす旨が書かれています。また、ピリピの教会からエパフロデトという人がパウロの元に遣わされたことも書かれています。
伝道旅行の末たどり着いたローマで、パウロは軟禁状態にありました。
家が与えられ、面会は自由であったものの、ローマ軍人に四六時中監視されていた軟禁状態なのでピリピに行くどころか近所を出歩くことすら出来ずにいました。
またピリピの教会が集めた献金をローマに送るにも、パウロの時代は今から2000年前なので、今のような送金が簡単に済む時代ではありません。途中で失うリスクも有ります。
なので、ピリピの教会からの献金を持参してローマにいるパウロに届ける人として、ピリピの教会を代表した優れた人としてエパフロデトが任命され、派遣されたのです。
エパフロデトはローマに着いてピリピの教会の用事を果たすと、軟禁状態で出歩けないパウロの代わりに、ローマの近辺の色々な教会や場所へ出向いて、パウロの代役を果たしていた様子でもあります。
しかし、
25しかし、私の兄弟、同労者、戦友、またあなたがたの使者として私の窮乏のときに仕えてくれた人エパフロデトは、あなたがたのところに送らねばならないと思っています。
26 彼は、あなたがたすべてを慕い求めており、また、自分の病気のことがあなたがたに伝わったことを気にしているからです。
27 ほんとうに、彼は死ぬほどの病気にかかりましたが、神は彼をあわれんでくださいました。彼ばかりでなく私をもあわれんで、私にとって悲しみに悲しみが重なることのないようにしてくださいました。
28 そこで、私は大急ぎで彼を送ります。あなたがたが彼に再び会って喜び、私も心配が少なくなるためです。
29 ですから、喜びにあふれて、主にあって、彼を迎えてください。また、彼のような人々には尊敬を払いなさい。
30 なぜなら、彼は、キリストの仕事のために、いのちの危険を冒して死ぬばかりになったからです。彼は私に対して、あなたがたが私に仕えることのできなかった分を果たそうとしたのです。
ピリピ人への手紙2章
そのエパフロデトは、ローマで「死ぬほどの病気」にかかってしまったらしいのです。
パウロが心配しましたのはもちろんですが、エパフロデトを派遣したピリピの教会の人たちもとても心配した様子です。
そこで快方に向かったエパフロデトを、すぐにでもピリピの教会へ送り返して安心させたいとパウロは思ったのです。
ピリピの教会は、そのように「喜びを持ってよく献げる教会」だったようです。
教会は、神様に賛美を献げ、祈りを捧げ、礼拝を献げるところです。
それと同時に、神様のために奉仕する人を支える事も大事な役割であります。
ピリピの教会はパウロのことを「主にある兄弟姉妹」として、金銭的にも物質的にも人材に関しても熱心に応援していました。嫌々ながらでもなく、誰かから強いられたからでも無く、心から喜びを持ってパウロを支えていました。
この現代に住む私たちは、どうでしょう?
今でも神様のために、イエス・キリストのために働いている人たちは、世界中にたくさん居ます。
その人たちを応援する方法はないものでしょうか?
金銭的に支援するのも良いでしょう。さらにハードルは上がりますが、エパフロデトさんのように実際にお手伝いするのも良いことです。
でも、どちらも出来ない場合もあります。では、どうするべきか。
まずは、神様にお祈りすべきです。
そのように神様のために活動している人たちのために、守られるようにとお祈りすることが求められます。
私たちは小さな弱いものではありますが、そのようにまず普段から祈って応援し、ピリピの教会の人たちのように喜びを持って献げていく教会になっていきたいと思います。