今日はパームサンデー、棕櫚の日曜日と呼ばれる日です。ゼカリヤ9章の言葉その通りに、イエス様はまだこどものロバに乗ってエルサレムに入城し、それを見た沿道にいるエルサレムの人たちがみな棕櫚の葉を振りながら歓迎した日になります。エルサレムにいた人たちがこぞって、「これぞ私たちの王様だ!王様万歳!!万歳!!」とみんなでイエス様がエルサレムに来たことを大歓迎をした日なのであります。
しかし皆さんご存じの通り、日曜日にそれだけの大歓迎をしたのに、同じ週の木曜日にイエス様は逮捕され、金曜日には十字架という、「極刑」につけられるわけです。たとえ律法学者たちに煽動されたとはいえ、それも群衆が望んだことでした。
 
では、なぜこんなことになってのでしょう?
それは、人々とイエス様とでは、「キリスト(救世主)とはどんな方なのか」という考え方が全く異なっていたからなのです。
 
当時、地中海沿岸部は全て、ローマ帝国の支配下にありました。西は今のスペイン・イベリア半島から、いま戦争でグチャグチャになっている中東のシリア、イスラエルまで、南はエジプト、そして北アフリカのリビアから、北はイギリスの現在のロンドンの手前当たりまでが、当時のローマ帝国の領土になっていました。
そんな大帝国ローマにとって地中海東部といえば、ペルシア帝国や南のエジプト王国の方が重要視され、当時のユダヤはシリアにある小さな一地方という感覚でしかありませんでした。
しかし、ユダヤ人にとっては、自分たちの国を蹂躙する、憎むべきローマ軍め!!という感覚だったようで、今で言う過激派に近い「熱心党」という人たちが出て、独立運動の騒動を起こすほどでした。
ユダヤ人たちは、かつて我々の祖先を率いてくれたあの偉大なるダビデやソロモンのような王様が、自分たちのユダヤを、イスラエルを、物理的・政治的に救ってくれるはずだ!!と願っていたのでした。だから、あれほどのいろいろな奇跡を起こした預言者であるイエス様が、私たちのイスラエルを救ってくれるにちがいない!と期待していたのです。

しかし、イエス様はそういうつもりで奇跡を行ったのではありませんよね。
たとえば5つのパンと2匹の魚から5,000人が満腹になった話があります。あれはただ単に、「イエス様のそばにいれば、空腹になることはない!いつでも満ち足りるのだ!!」と言っているわけではないですよね。
イエス様がロバの子に乗ってエルサレムに入ってきた話はさきほどゼカリヤ9章を読んでいただいたように、旧約聖書に書かれていたことをそのまま実行されていますが、5千人の給食の奇跡に関してもイエス様は、すごいことをして群衆の目を引きつけるためでも無く、また自らの力を誇示するために行ったわけでもありません。イエス様ご自身はただ旧約聖書の中にあることを(その当時の)現代で実行されたまでのことなのです。
イスラエル民族がエジプトを出て荒野でさまよって居たとき、何も無い荒野で飢え死にしそうになったときに、人々を見て可愛そうに思われた神さまが、イスラエル人にマナという食べ物を与えて養って下さった事が出エジプト記に書かれています。イエス様の当時のユダヤ人はみんな聖書(旧約聖書)のことをよく知っていましたので、イエス様はそのモーセの時代を追体験させることで、イエス様自身が神さまの子供だということを証明しようとしていたのです。
病気を癒やす奇跡だってそうです。旧約聖書にあったこと、神さまが預言者たちを通してなさった技を行うことで、天地を作られた唯一の神さまは過去だけでなく今も生きておられ、イエス様はその神さまの子供として、神であるのに人となられたことを証明するために奇跡を行ったのです。
しかし、イエス様自身が「聞いて悟らず、見て信じない人たち」と言われた当時のユダヤ人たちは、イエス様のことを、人間的にすごい人だとは思っても、神さまの大事な子供だとは理解できなかったのでした。
 
それでは、弟子たちはどうだったのでしょうか?
イエス様に2年以上付き従って色々な話を聞いて、色々な体験をして、それこそ寝食を共にしていた弟子たちでさえも実は、ふつうのユダヤ人たちと同じ用に、イエス様のことを「なんかすごい、立派な人」「素晴らしい預言者」としか見ていなかったのです。それどころか、「これだけ人望もあり、色々な奇跡が出来るような預言者が、旧約聖書の中だけでなく、今この時代に生きている!!」と、まるで物語の中に生きているような感覚になっていたのでしょう。イエス様がイスラエルの、ユダヤの王様になって、私たちの生活を劇的に変えてくれるはず!!と思っていたのです。
だからマタイによる福音書20章には、ペテロとヤコブ兄弟の母親がイエス様の元に来た話が載っていますが、そのペテロとヤコブの母親は何をしたかというと、イエス様がもし王様になったら、イエス様の両脇、つまり右大臣左大臣という側近中の側近、最重要ポストに自分の子供のペテロとヤコブを置いてもらいたい!とお願いしています。そしてそれを見ていた他の弟子たちがふざけんな!って怒っていることも書かれています。
弟子たちの理解では、イエス様はそんな「ただのすごい人」「聖書にいた素晴らしい預言者の再来」としか思っていなかったのです。
 
さて、それではきょうの聖書箇所、マタイによる福音書26章に入りたいと思います。
この箇所はさきほど申し上げましたように、日曜日に大歓迎されながらエルサレムに入ってきた時から数日経った、水曜日ぐらいの話だと思われます。その頃のエルサレムはちょうど「過越の祭り」で人が多いので、イエス様と弟子たちは、エルサレムの近くの町ベタニヤにある皮膚病持ち(古い聖書だと「らい病」との記載)のシモンの家に身を寄せます。この皮膚病持ちの人の家に入るのでさえ旧約聖書にあるモーセの律法に照らし合わせてみると実は大変な問題なのですが、時間の都合で今日はその顛末はカットします。
そしてその場所で、一人の女性がイエス様に大変なおもてなしをしたようですね。「たいへん高価な香油の入った壺」を持ってきたと267節に書いてありますが、その「たいへん高価な香油」をイエス様の頭にかけたというのです。
当時はもちろん道路が舗装などされていませんですから、体に泥やほこりがついて汚れているのが当たり前でしたから、ハレの日、いわゆるお祝い事がある時などに、招待した家の主人がおもてなしとして客人の足を洗ったり、頭にいい匂いの油をかけることがあったそうです。
で、当時の食事はこう、左肘を下につけて、敷物に寝そべって食事をするのが普通でしたから、容易に足や頭にかけることができました。
この女性を並行箇所であるヨハネによる福音書12章では、マルタマリヤラザロの3兄弟のマリヤだとしていますが、このマタイによる福音書では特に名前を記載していません。それはイエス様の頭に油を塗ったのが誰か?ということよりも、どうして油を頭に塗ったのか?ということにマタイの焦点がいっているからだと思われます。
女性がイエス様の頭に油をかけたのを見て弟子たちが怒り出します。この「弟子たち」と言う箇所も、「イスカリオテのユダ」が自分がお金を使い込んでいてその負い目から怒り出したのだ!と先ほどのヨハネによる福音書12章には書いてありますが、マタイによる福音書では、怒ったのはイスカリオテのユダ1人ではなく「弟子たち」が怒ったと書いてあります。
 
私たちはこのあと程なくして、イエス様が逮捕され、十字架という死刑の中でも一番重い方法で処刑されてしまうことを知っています。当然イエス様はその事を知っておられ、この日曜日にエルサレムに入城したのも十字架にかかるためでした。だからこの女性がイエス様の頭に油をかけた時に「わたしの埋葬の用意をしてくれた」と言っているのですが、弟子たちの思いは全然違う方向を向いていました。

弟子たちは、イエス様を見ているようで、その実イエス様を全然見ていません。弟子たちはいつもイエス様と一緒に居ましたが、イエス様がユダヤ人の王として、このユダヤ国家をまとめてくれるモノだと楽観視していて、イエス様がこれからどういう苦しみに遭うかということにまったく心が向いて居ませんでした。そのことはイエス様ご自身が何回となく弟子たちに語っていたのにのです。
あれだけ一緒に居たのに誰一人としてイエス様の事を悟らず、自分の利益になることばかりを考え、どうしたらイエス様に取り入って自分を売り出せるのか、どうやったらイエス様のお気に入りになって自分をアピールできるのか?もしイエス様がユダヤの王様になったら自分がどの位置に立てるのか?ということばかり考えていました。だから女性がイエス様の頭に油をかけた時、「イエス様に対して抜け駆けしてあからさまな良い人アピールするだなんて、許せない!」という思いから、「その高い油を売って貧しい人に施しすべきだ」と言ったのだと思われます。
純粋にイエス様におもてなし、「イエス様ファースト」で行動した女性に対しは、イエス様は「世界中どこでもこの人のしたことは語られる」と言われました。それに対して弟子たちの取った行動はどうでしょう、目先の「イエス様のお気に入りになる」ようなことに心が囚われ、結果イエス様の考えを忖度(そんたく)できなかったのですね。
 
このことから私たちは2つの点で気をつけなければいけないことがあると思います。
まず一つは、私たちの頭の中には、「あからさまな良いことをする人=良い人」というイメージが出来上がっている場合があります。たとえば何か率先して手伝うだとか、どこかに寄付するだとか、そのようなことです。弟子たちも「貧しい人たちに施すという行為」とか何かすることこそが美徳であり、イエス様が喜ぶことだと考えていた様子です。でもイエス様の考えは全く違います。
はっきり言うと、この世の中でのいわゆる「良いこと」、評判として良い評価を得るようなを事したとしても、それは第一番に大切なことでは無いのです。それが11節でイエス様がおっしゃった「貧しい人たちは、いつもあなた方といっしょにいます。しかし、わたしはいつもあなた方といっしょにいる訳ではありません」という言葉の意味です。
間違っていけないのは、その「良いこと」をするのがいけないと言うことではありません。しかし、聖書の中ではあからさまに優先順位があり、その「良いこと」の順番は2番目だと言うことです。1番目はもちろん「心を尽くし思いを尽くしてあなたの神主を愛せよ」という言葉の通り、神さまを愛して従っていくことです。そして神さまからの愛を受けた結果、わたしたちは「御霊の実」として、道徳的なうわべの気持ちだけでなく、心から「隣人をあなた自身と同じように愛しなさい」という聖書の言葉を実行できるような人間へと神様によって、聖霊によって変えられていくわけです。
 
もうひとつの気をつけるべきことは、イエス様を心のどの位置に置いているのかということだと思います。
弟子たちは、口では「イエス様のためなら、命を投げ出しても良い!」と言っていたのに、イエス様が逮捕されると散り散りバラバラになって誰一人残りませんでした。「イエス様、イエス様!」と慕っているように見えるのですが、実はイエス様を利用して自分の都合のいい状態に導こうとしていた、つまりイエス様を自分の下に置いていたのです。
この日本でも、たとえば神棚とか仏壇とか、そういうモノを「奉る(たてまつる)」という、一見うやうやしく慕っているようにも見える行為がありますが、アレは持ち上げるだけ持ち上げて、「俺がこれだけあがめ奉っているんだから、不幸を持ってくるんじゃないよ!御利益(商売繁盛や家内安全など)持ってきなさいよ!」と、実際は全く神仏を敬っても居ない、自分の都合の良いようにしか考えていないわけです。
当時のパリサイ人や律法学者たちもおなじように、モーセの律法を自分の都合の良いように利用していました。(イエス様は再三再四弟子たちにパリサイ人の働きに注意するように、パリサイ人たちの行動を真似しないように!と言っていましたが。)
人間が作った偶像の神で無く、私たちを造られた天の神さまは、「良い者にも悪い者にも等しく雨を降らす」方です。我々人間のような小さい者の利害で動く方ではありません。でも私たちは自分を神さまより上にして、神さまを自分の都合のいいように利用しようとすることがあるので気をつけなければいけません。
マタイによる福音書7章の、いわゆる『山上の垂訓』の中で、「わたしにむかって主よ主よと(口先で)いう者がみな天国に入るのでは無く、天におられるわたしの父のみこころを行う者が(天国に)入るのです」と書かれていることを心にとめておく必要があると思います。
 
さて、この女性はイエス様に、今の金額で言えば100万円以上するような香油をプレゼントしました。
この私(女性)がイエス様に救われたということは、それぐらい感謝すべき事だと思ったから、イエス様に心から捧げたいと思ったからだと思われます。
それでは現代に生きる私たちは、どれくらい、イエス様に感謝しているでしょうか。
イエス様に感謝を捧げると言っても、お金を出せばそれで終わりでしょ?っていう風では、さきほどのパリサイ人や律法学者たちと一緒ですね。こころから捧げるということはどういうことでしょうか?神様が「生け贄よりも憐れみを好む(物理的な表面的な奉仕より、心・想いを捧げるほうが尊い)」とおっしゃったことは聖書(ホセア書6章)に書いてあって、イエス様自身も口にした言葉です。
ひょっとすると現代に生きる我々にとっては、お金を捧げるよりも時間を捧げる方が難しいかもしれません。良い者に悪い者にも等しく雨を降らす神さまは、同じように良い者にも悪い者にも等しく1日に24時間という有限の時間しかお与えになっていません。しかも現代は昔と違って興味が沸くようなことが山ほどある時代です。(テレビラジオ新聞雑誌インターネットメールLINEFacebook。。。。)
昔に比べると、仕事も多岐にわたり複雑化してきましたので、なおさら時間を取ることが難しくなってきました。そんな中で、たとえば今している仕事をイエス様ならどう進めるだろう、この人とのこういう会話をイエス様ならどうお話になるだろう?といつもイエス様に忖度して、「イエス様ファースト」で考えていくことが大事なのではないでしょうか?

いつもイエス様と一緒にいるということがどういうことかというのを、毎日の生活の中で是非考えながら生活していただきたいと思います。