雨上がり。たまにはブログを書きたくなる。毎日泣いたり怒ったり、情緒不安定な日々を過ごしていると、もういい事なんてひとつも起こらない気がするけれど。今日、雨上がりの虹を見る事が出来た。本当にささやかな事だけど、とっても嬉しく感じられた。今は1日1日を生きる事だけで精一杯だけど、またきっといい事もあるよね?
納豆が・・。ちょっと前の話です。雪の中車を走らせていたら、子供がふと言うのです。「ママぁ・・タイヤの中に納豆が入ってんの?」「納豆!?」何を言ってるねんと思ったら、思い出しました。前日はタイヤ交換に行ったのです。「なっとうじゃなくて、ナットやで。 ナットでタイヤを止めてるねんで。」ちゃんとナットが締まっているか点検したのです。子供は車の中で言葉だけ聞いていて、実際のナットを見たわけではないから、わかりませんよね☆想像すると、寒い中でも顔がほころびました。いつも楽しませてくれてありがとう♪
お風呂で洗うところ。子供をお風呂に入れてくれる前、夫が「(子供の)頭洗わへんしな」と言った。「へ? なんで?」「いやぁ・・耳に水入らへん方がいいやろ?」「まぁそうやけど・・どっちでもいいけど・・」そこまでしなくても・・。 は っ ! !今までだったら、どっちでもいいと言いながら、そこまでしなくても大丈夫やん!清潔にした方がいいに決まってるって攻撃していました。それも心の中で。正しさ争いをしていたんですね。でも、夫も子供を心配してくれているという意味では同じなんです。だからどっちが正しくてどっちが間違っているというわけではなく、どっちもOKなんですよね。自分がそれに気付けた嬉しさと、夫が子供のことを思いやってくれた嬉しさで、頭を洗わず出てきた子供にもにこにこ接する事が出来る自分がいて・・うん、幸せです。
寂しさとせつなさと心細さとわかってもらえない 寂しさなのか好きになってもらえない せつなさなのか味方になってもらえない 心細さなのか今日は雨だねというのと 同じくらいに泣くということが当たり前になりすぎていて今日も昨日も一昨日も 涙は枯れずに溢れ出すそのうち大切なものまでも 洗い流してしまいそうで寂しくて せつなくて 心細くて泣いてるのにたったひとりで泣き続ける事に疲れている筈なのに大好きな人達だからこそ 知られたくないなんてその思いに気付いちゃって せつなくてまた泣けたいずれは 寂しさもせつなさも心細さも変わっていく自分を そして大切な人を守れる 強さに
だいじょうぶだいじょうぶって思っても やっぱりカラ元気いいことばっかりなんて ありえないよね?わかってるんだけど わかりたくはないだいぶ受け入れられるようにはなったけどこんな風に凹むなんて まだまだなのかもそれでも少しはましになったと思えるのは気遣ってくれているのがわかるようになったことそれすらわからないほど圧倒されていた頃よりは成長していると自分を褒めてみてもいいのかな?そうしたら もっとだいじょうぶになれるかな?