言の葉カフェの帰り、どうしても行きたいところがあって、隣町の『筑波海軍航空隊記念館』へやって来た。



8月は、こうしてのほほんと平和に過ごしてる毎日に感謝しなければならない月だと思っているから。


ここは、特攻隊の学校なんだよね。それもエリートの。
高校、大学の子どもは、ここへ。
それ以下の若い子は、阿見なんだそうだ。


大好きな父も戦争経験者。陸軍だけどね。
「敵陣に向かう時に、天皇陛下万歳なんて言わねぇよ。ほとんどがお母さん、さようならなんだよ。分かるか?」と、言われたことがある。
父の終戦は、一緒の部隊の亡くなった方の遺骨や遺品を返す旅が終わった時だった。
「遅くなって、申し訳ございません」
莫大な時間と色んな手を尽くして、住まいを探して手渡ししていたのを覚えてる。
遠く、青森まで行ってたな…
生活して住所を探して置いて来る。私には到底出来ないことだ。
「送っちゃえば?」
「いや、送らないで、そのときの様子を話して来てご家族を安心させなければならないのが、生きて帰って来た者の出来ることだと思っているんだ。親御さんだって嬉しいに違いない。
戦死しました。遺品はありませんじゃ、悲しくてやりきれないないだろう。おまえも子どもを持つ年頃になったら、分かるはずだ」
二十歳そこそこで国のために身を捨てる覚悟…今では、出来ないことだと思う。


誰が国のためと、暗示にかけたのだろう?
頭があって、口がきけるなら、話し合いで解決出来なかったものなのだろうか?と
と、辛くなる。
また、近代史で原発を落としたパイロットのその後などを学ぶと『戦争はやっちゃいかんのだよ』
被爆した方も落とした人もいい結果にはなってないのだからと思うばかりだ。

戦争は、悲しいこと辛いことを重ねなければならない。
だから、やらなくてもいいことなんだ。
戦争経験者がいなくなってる昨今でも、尊い命がなくなったことを忘れてはいけない。



そして、このコロナ。
ある種の戦争なのかも知れない。
沢山の命を奪って、何を教えるつもりなのだろうか…
コロナが治まったら、あれしたいこれしたいと、楽しい思いを秘めて「太陽の子の世津」のように未来を見つめたいものだ。