花瓶


カビん


過敏✨笑



私は、刺激に過敏に反応する。




ちょっとした、誰かの反応、感情を

過敏に察知、共感、し、

目に見えるものの変化、移り変わる景色

の情報を、取りこぼさぬように必死になってるかのようにキャッチして、

そして、傷ついてきた。


しかし、そんなに情報はなくてもよい、と知る事ができ、

そういう体質だったのかとを受け入れるようになった



しかし、自分を知り、
受け入れてもやっぱり疲れることに変わりはない。


情報量が多すぎ。

整理するのに脳が追いつかない。



一日の終わりに、あった出来事、見たもの、

人と話した事、私の言ったこと、

相手の顔色の変化、感情


などなど総動員して、

あれはどういう事だったのか、整理していた。



それはそれは忙しく、走馬灯のように

ぐるぐるぐるぐる(𖦹_𖦹)頭の中で

ハイスピードで、その日あった事の映像の記録を再生して流し、


その映像を見ながら、私の感情が引っかかるところをもう一度巻き戻しして、


どうして引っかかるか、

けっこう丁寧に、
検討して、考察して、


気にするべき案件だったか、

忘れていい案件だったか、

今後はどうしたらいいか、結論を出す。

そうしないと気がすまなかったりして。


私の一日の行動を動画に収め、

再生して、やり直したいと思うところを切り取ったり、

本当はこうしたかった映像を頭の中で作り直して、

貼り付けて、

一本の動画を完璧に作り直す。


ちょっとの傷も許せなくて、完璧に作りかえたかった。


すごく丁寧な動画編集作業。



一人で頭の中でYouTuberをやってたみたいなモンだ!w




それをやっていたから、頭は非常に忙しい。

基本、反省をしないと不安で、
反省して対処する事で安心して眠れるので、


楽しい感情よりも

ヒヤッとした事やマズイ、と思ったことに焦点が向かい、

嫌な感情ばかり拾っては
いつも嫌な感情を感じていた。


振り返る映像をみて、

『ヒヤッ』

を見つけて、

見つけたら解決できる安心を感じるから、


『ヒヤッ』はどこ?

と探していた。



そんな事ばかりしていると、

正気が失われ、生きてる実感も無くなり、

これ以上は大変になって、

こんな事は辞めることに至った。



プラスの感情を頭に入れ込んで、
マイナスを出す作業を繰り返した。



この時代、もうそんな事ばかりしてないで、

楽しいことをして過ごそう〜と、

一日を振り返る事も、
検討、考察もするのをやめて、

右から左に流すようにして、
無駄なエネルギーを使わなくなった。




かなり変化したけど、
それでもやっぱり、完全にはなくならなくて、

時々、古い記憶に囚われて、辛く悲しくなる時もある。


古ーーーーい、カスみたいな、くだらない記憶に
『また出て来たなー、もうやめたいなー。』

と、抗う。




そもそも、なんでそんなに敏感に感じ取りたかったのか……?

と、考えてみると、



それは、私は人の感情を知りたかった。

探って研究してみたかった。

こういう時は、人はどう思うのか。
また、こうした場合は、
どう行動するのか。


人間の感情は、状況によってどう変化し、
どう動いたら、どんなふうに行動するのか、


それが知りたかったのだと思う。

私はそれを、【正解】だと思って、
答えを探していた。

もうひとつの言い方、表現としては、【普通の人】になりたかったから。


人の感情と行動の、【正しい答え】
【普通の人にとっての正解】

それを知るために、よーーーーーく見ていた。



そして自分も試してみて、

そうするとどんな感情になるのか実際に感じ、

体験してきた。


なんか、操作しているもう1人の自分がいるかのように、

客観的に、俯瞰的に見つめてきたような気もする。



いやーーーな感情をたくさんたくさん感じてきた。


過敏に察知して、さらに詳しく検討、考察
するために、

目に見えるものも、情報に取り入れて見てきた。


取りこぼさないように。



辛い思いをしながら、エネルギーを消耗させ、憔悴しきるまでやって、

かなり勉強にはなった。


色々知ることができた。



だからといって今後失敗しない!という訳では無いけれど。

同じように辛い思いを繰り返す。


もう、繰り返すことはどうやっても回避出来ないので仕方ない。



同じセリフが出てきたとしても、

いつもいつも、

状況も、人の気持ちも、全てが前と違うのに、

一度体験した方法でやり直しができるわけがないのだから。





私は、その、知りたかった事を全力でやってたんだから、
何も自分を情けなく思う必要がないのだと、


ふわ〜っと納得する時があった。


こういうの、突然やってくる。



ふらっっと気まぐれにやってくる。


何度も同じ過去に囚われる自分を情けなく思っていたのね。と、気付かされ、

それ自体は辛くないのだが、

ふわふわ〜っと、腑に落ちた時、気持ちよく軽くなる。





北海道に帰りたい思いがとても強く重く、執着の塊になって背負っているけれど、

その執着を手放すことは、


なんか、きっと、

それよりも大切な何かを得るためなのかな、と思い始めている。




引っ越してきてから、

急速に、

家族との関係が、良くなっている。


家族に対する私のわだかまりが解けている。



子供たちへの、異常な心配もしなくなったし、

純粋にこのままでいいのだと、安心している。


親へのわだかまりも解けた。


その他にもたくさん、


元々自分はこんなに願いがかなっていたんだ!という事にも気づいてきた。

最高の人生だと。