手向山神社の中の、
神楽所
手前側のところ、
かつて現在の「東大寺天皇殿」の場所が徳川家を守護する「東大寺東照宮」として使用されていた際に用いられていた社殿建築が現在も保存されています。
ここの辺りとか、とっても歴史を感じる。
妄想が膨らみます😗💭
鬼退治の絵が描かれているらしい。
平安時代の武将「源頼光」が重厚な甲冑を着て鬼退治をする様子を描いた絵……
なんだか、楽しそうよね。
みんなを楽しませたいオーラ??
きっと愉快なタイプの方達が集ったのかしら……
そのまま進んで行って、振り返ったところ。
趣きのある橋に、趣きのある石畳の道。
この石畳、とっても歪んでいてとっても歩きずらいの✨
この歪み具合、きっとかなり古い時のなんじゃないかしら……??
八幡宮を外から見た楼門の横の方……
(なぜ立派な楼門正面を写さなかったのだろう?(-ω-?))
神楽所の外から見たところ。
ここで、
もう少し詳しく手向山八幡宮について、もう少しご紹介したいと思います。
自分の勉強のためですが…
主祭神としては応神天皇が、またその他の相殿神としては比売大神・仲哀天皇・神功皇后・仁徳天皇が祀られています。
神門(楼門)の前に、本殿、拝殿があります。
南側へ行くと
境内の摂社である若宮神社の本殿、拝殿があります。
(祭神は仁徳天皇(大鷦鷯尊・おほさざきのみこと)をお祀りしています。)
若宮神社の両脇に小さなお社があり、
こちらが摂社高良神社(祭神:大伴健将)と若殿神社(祭神:菟道稚郎子)になっています。
さらに南へ進むと、
住吉神社があります。祭神は住吉三神である底筒男命・中筒男命・表筒男命となっています。
鎌倉時代創建。
その他の末社
住吉神社の近くにある、
北側にある少し細長いお社は明武神社(祭神豊玉媛神・玉依媛神)・劔神社(祭神素盞鳴命)・八子神社(祭神天照大神)・松童神社(祭神応神天皇牛飼童)の四社合殿の神社となっています。
手前に見える南側のお社は阪本神社(祭神大己貴命)・恵比寿神社(祭神蛭児神)の二社合殿の神社となっています。
あと、神門の外側には、
「手向山八幡宮宝庫」があり、奈良時代に建てられた校倉造の貴重な建築となっています。
行った後に、あれはなんだったんだ?
と思い、調べてみました。
ちゃんと見ようとすると、めっちゃ勉強になる。
今までなんにも知らない無知だったし、まだまだ知らない事ばかり……
無礼なこともしてたかもしれない。
写真も、何も知らないでとるから、
あっちゃこっちゃ、方向も何もかもぐちゃぐちゃになっており、
あとから見返して、なんの意味も持たない。
宝庫の写真と、東照宮の写真は、4月に行った時にも撮っていたけど、
神門の写真は、どこにもない。
何度も行ってるのに、写してない……
春日大社に継いで、神社の楼門としてはとても立派らしい。
そういう事も何も知らないから、
私の無知な判断では引っかからず、素通りとは、
なんたることぞや……
分かって写真を撮るのと、
思うがまま写すのとでは、また違う。
何を写真に込めるか、
何を見て欲しくて、どうやって焦点を合わせるか……
今度行った時に私は何を思うのか、
また散策が
楽しくなりますね……(*・ω・*)wkwk
先日行った、聖武天皇の事から、大仏さまに繋がり、
とても歴史の勉強になりました。
私は歴史になんの興味もなかったので、
学生の時の社会、歴史については、全く覚えていない。
奈良時代について知っていたのは、
遷都したのが、『なんと、ほにゃらら…ほにゃらら……平城京』で年表を覚えた、710年だ、という事のみ。
しかも、「710年でなんと」しか覚えていない笑笑
歴史ドラマでは、
権力争いなどで人間のエゴの醜さみたいなものを見て、あんまりいい印象もなかった。
物事の裏しか印象になかった。
近鉄奈良駅前にある、行基の像を見ても、なーーーんとも思っていなかった……
しかし、聖武天皇と共に、大仏創建に貢献されたお方であり、
慈善活動だったり、福祉的な事をした、とか。
饑饉や、疫病など……から、人々を守りたく、
幸せを願い、尽くされた事を知り、
考えを改めました。
願い、祈り、そして、そのために貢献された大きな功績、エネルギー、人の強さ、温かさや優しさ、
そういうものが。
大仏さまや、神社では、
人々の幸せを思う祈りが、
何年にもわたり、
幾層にも積み重なった壮大な祈り、が込められているのですね。
表面上は、いろいろ事件があったとしても
そもそもの願いは、『幸せに暮らすこと』にあるというところを知らなかった。
そこに私も自分の足で行って
お参りさせてもらう事ができる、
というのは、
それはそれはありがたい事でして、
今、平和な国で幸せに生きていることの感謝と報告を
せずにはいられません。
oldwomanが小学生気分になって、やり直してみたい。













