『燃ゆる女の肖像』のセリーヌ・シアマ監督最新作。

 

亡くなった祖母の家を片付けるため、両親と共に森の中の一軒家にきたネリー。しかし、母や想い出に耐えられなかったのか出て行ってしまう。父親と祖母の家に残されたネリーだったが、森の中でひとりの少女に出会う。彼女はマリオンと名乗り……。

 

現代が「Petite Maman」なのでネタバレもなにもないと思うので書くが、マリオンはネリーの母親の幼い姿。つまり本作はタイムスリップものなのである。森の中で幼き日の母親と邂逅したネリーは、自分とは違うひとりの他人としての母親と初めて対峙し、さらに最期に「さよなら」を言えなかった祖母とも出会うことができた。そういうお話。

 

ネリーは少女をすぐに「自分のママだ」と理解して、その状況をごく自然に受け入れる。演じているのは双子なので瓜二つで、彼女たちがキャッキャと戯れる様子は本当に可愛い(『燃ゆる女の肖像』でも女性たちが戯れている描写が秀逸だった)。

 

現在と過去とを流れるようなカット割りで美しく移動する手腕は見事だし、多くを語らせずに表情だけであらゆることを伝えようとする脚本も良いと思う。ただ、『燃ゆる女の肖像』ほどの衝撃はなかったかなあ。

 

言葉ではない部分で表現するというやり方はやはり難易度が高くて、8歳の子どもにやらせるにはちょっと負荷が大きいのではないかと感じた。感情が読み取れるようで読み取れないというか。現在の母親との関係性もそこまでしっかり見えてこない中でタイムスリップに突入するので、今一歩気持ちが入り込めないまま進んでいった感。私の想像力の限界の問題かもしれないけど。

 

子どもマリオンと大人ママンが同時に存在するシーンはないので、大人ママンが過去に同じ経験を(子どもマリオンの立場で)していた、という風に考えるのが最もスムーズな解釈なのだろうが、あまり突き詰めて考える必要もないのだろう。全体としてはあくまでもファンタジーなのでね(SFではなく)。

 

母親や祖母という存在も、かつては子どもであり若かったという当たり前の事実。確かにこれって、自分が大きくなるまで気づかなかったりする。小さいときは「大人は大人」であり、彼らも子どもだったというのがピンとこないし、大人は間違いを犯さないものだとなんとなく思ってしまっていたりする。少なくとも私はそうだった。それが違うということに気づくのは、人間として成長するために必要なことだ。

 

祖母の家から逃げ出してしまうという母親の人間としての未熟さを、かつては自分と同じ子どもだった母親と出会うことで受け入れ、さらには祖母が老いて亡くなったという事実をも受け入れていったネリー。誰もがどこかで経験するあのホロ苦い感覚を、見事なファンタジーとして昇華させた作品。

 

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