ブログネタ:自殺について考える 参加中
自分の友達が自殺を図ったとき、とても責める気持ちにはなれませんでした。
幸い未遂で終わりましたが、傷を見たときに本気で死ぬ気だったんだなぁ・・・・と感じました。
手首にはためらい傷をなくて、1センチくらいの深い傷が一つ。

その傷を見せられたときに、胸が締め付けられるような気持ちになりました。
それから数年彼女は腕時計でその傷を隠していました。
私がその傷を見たときには「心が癒えるまで隠しておいていいんだよ。無理しないで」と
腕時計で隠したことを覚えています。

両手で彼女の手を握って、大丈夫だからね。大丈夫からね。

胸がいっぱいになってしまった私はその言葉しか言ってあげれなかった。

人は誰しも弱い部分があって、大なり小なり悩みを抱えています。
その弱い部分を含めて理解してあげれる人が身近にいるだけで、どれだけの自殺を止められるか・・・と思います。

意を決して自殺する人も、衝動的に自殺する人もいるけど、ほんの一瞬でもいいから、
自殺を図る前に連絡を取りたいと思える人がいるだけで違う。
自殺を考える時は、生きている意味を知りたがる。
何で生きているの?死ぬために生きている?
生きていても意味がない。

心の叫びです。

でも最近思います。

生きている意味を探しちゃだめなんだって。
生き続けることに意味があるんだって。
生きていれば凹む事もあるし、良いことばかりじゃないって。
嫌なことばかり続く事もあるし、

そんな時は、無理して頑張らなくても良いと思うし、
流れに身を任せるときや、家の中に篭っている時間があっても良いと思う。
いっぱい休息とって、少し元気になったら一歩踏み出せばよいと思う。

そんな時に人と比べてはダメ。
自分の中に目標を持って、自分を褒めながら、時に慰めながら毎日を生きればいい。

簡単じゃないけどね。
どん底を必死でこらえれば、それより辛いと思うことはなくなるから。
生きているから、いろいろ問題が起きるけど、
不思議とどん底で感じた絶望感を感じない。
頑張れる自分がいて、初めて強くなった自分に気がつく。
感情におぼれなくなる。

フラッシュバックのように嫌な過去が蘇り、もがき苦しみ、手に震えが走り、涙がこぼれる。
まだ泣ける自分がいるんだとも思う。
そんな事を繰り返しながらも、生きている自分がいる。
自分で痛みを知って、人の痛みを感じる。

人の言葉で傷つき、人の言葉で元気になれる。
愛にも凶器にもなるのが言葉。

死んでも誰も悲しまないし・・・とか言わないで。
見捨てられたって思わないで欲しい。
最後に自分で自分自身を見捨てさえしなければ、命はここにあるんだから。
そんな寂しいことしないで欲しい。
人間だもん。誰でも心のサイン見逃しちゃうことだってあるよ。
もっと大らかに自分の事も、他の人の事も見てみよう。