震災後のこころ | 震災後の海おんなのブログ

震災後の海おんなのブログ

震災からの記録です。

先週の週の後半、バタバタしていました。


岩手県の内陸部、盛岡市の心療内科に行ってきました。


決して近くは無い道のり。運転しているだけで疲れました。


最初は親戚の電話でした。


「叔母ちゃん、少しおかしいと思わない?」


いとこの叔母さんの事でした。離れていて、お互い被災しているので頻繁に行き来は出来ていませんでした。


家族を亡くし、一人ぼっちになってしまいました。


あわてて行くと、いつものやさしい叔母ちゃんだったのが、何をきっかけにか分からないまま、突然怒り出しました。


ずっと見ていましたが、怒らせるような事、気分を害する事など、誰も言っていなかったのに、キレる、という言葉のようにあたり散らす感じでした。


その後も相手を怒らせるような挑発的な言葉を言ったり、違う事に対しても怒り出しました。


そして、最終的には、「誰も私の気持ちを分かってくれない、心をえぐるような事を言う」と子供の様に(オーイ、オーイ)と大声で泣き始めるのでした。


1泊2日の間に3回同じ事が繰り返されました。


本人は、安定剤と睡眠薬をもらっているから普通だ、みんながおかしくしようとしている、とまた怒り始めました。


他には、東京などに住んでいる、親戚(遠縁)に「震災で食べるものが無い、助けて」と何度も電話を掛け、生鮮食品を含む食料品を届けてもらっていました。


避難所にいて、一日3食ご飯は食べれるし、支援物資も十分でした。最終的には腐らせ、皆に迷惑を掛けるという事でした。


私は今飲んでいる薬を調べ、避難所の方にも協力してもらい、温泉に行く、という口実で連れ出しました。


そして、その心療内科に行きました。


新患は受け付けない日だったにもかかわらず、診てくれました。


午前だけでは終わらず、午後までかかりました。


診断は、急性ストレス障害(ASD)でした。このまま進んでいたら、心的外傷後ストレス障害(PTSD)になっていたかもしれないから、早く連れて来て良かった、と言われました。


今飲んでいる薬は止め、新しい薬を飲むように、と本人にも今まで処方してくださった医療機関にも言ってくれました。


なぜ、これを書いたかというと、叔母の場合は、知らせてくれた方がいた分、良かったのかもしれないと思ったからです。


近所の顔見知りの方で、震災後、いきなり変わってしまったら、敬遠してしまいがちです。


自分も被災しているので他人を気にする余裕が無いのも事実です。


でも、前と比べて、「あれ?」と思うような事が増えたら、避難所の管理人さんでも、まとめ役の方でも、診察に来てくれる保健婦さんにでも話すべきだと思います。


実は、私も睡眠導入剤を処方してもらっています。


恥ずかしいとは思いません。


また、不眠が続き、体力が消耗し、不安な事しか考えられない日々は繰り返したくないです。


もっと深い悲しみを持っている人もいる、助けたいです。


アホで無力な私は出来ないことばかりを望みます。


知人に「不幸のどん底を味わいたくないために、どん底を埋めてしまったら、平らになって幸せも不幸せも無くなってしまうよ」と言われた事を思い出します。


やはりアホな私は、「じゃあ、もう幸せしかないじゃない」と思い、少し心が軽くなります。