物を探す | 震災後の海おんなのブログ

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震災からの記録です。

骨箱を受け取り、私たちはなんだか気が抜けてしまった。

実家に入れようとしたら、曾おばあちゃんから「待った」がかかった。

曾おばあちゃんは85歳になり、おじいちゃんは実の弟になる。子供がいなかったため、弟を養子にしたのである。

人嫌いで、ひとりで家に住んでいて、部屋が7つ、離れは二階建てで部屋が4つあるのだが、このような状況にあっても、誰にも住まわせないのである。

さらに、湧き水が家の裏にあるのに、何人かの知り合いだけにしか汲ませないのだそうだ。

そして、おじいちゃんを入れない理由は、「ケンカをしたから」と「骨と一緒にいるのは気持ち悪いから」である。

なんだそりゃ、である。

こればかりは何度言っても聞かず、もしも曾おばあちゃんがいなかったら、何世帯の家族がこの家に住め、何キロも離れた湧き水を、歩いて汲みに行かなくてもすむ人がいる、などといけない事を考えてしまう。

いてもイライラするだけなので、一晩だけ置かせてくれ、と頼み、「かってにしろ、私はしらねぇ」という言葉で了承したことにし、私達は倒壊したおじいちゃんとおばあちゃんのアパートに行き、何か思い出の物が残ってないか、探しに行った。

強い引き波と押す波が何回かきたので、家は無く、土台も何も無かった。

5キロ以上離れた場所に住んでいる人の年賀状があったりと、探しようがなかった。

それでも探した。何か残ってないか。

山に登っていくほうに、フォトフレームがあり、SDカードが入ったままだった。それは敬老の日に贈ったものに似ていたが、家電量販店で買ったものなので、家のものなのか、不明であった。とりあえず持って帰り、いつか見られるようになったときに確かめることにした。

少し移動し、探すことにしたが、その時に撮った建物がある。


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避難所で、体育館のような大きな建物。左が海側で右が山側。よく見ると山側の壁が抜けている。

大勢の人が避難したそうだが、津波が左の入り口から入り、抜けたそうである。1階も2階もダメで、ほぼすべての人がいなくなってしまった。海からは離れた場所にあるのに。

さらに、この日は、午前授業だったため、小学生や中学生、高校生などは、友達と町に買い物に出ていたらしい。進級するため、進学するために必要なものを、友達とおしゃべりしながら楽しそうに選んでいたのではないか。若い年代の犠牲者が多かったのはそれもあったらしい。新しい制服を作るため、母親と一緒に出かけたり、祖父母におねだりするために一緒に出かけたり。いつもの同じ時間を過ごしていたはずなのに。

悔しい。



☆今日の私☆

ゴールデンウィーク中ともあり、県外からの車が目立つ。

特に被害が酷かった場所の倒壊した家屋の前で、「イェーイ!」と笑顔で記念撮影。そして、うす汚れた私たちをパシャパシャ撮りまくる。

次にはマイクロバスが。同じくぞろぞろ下り、デジカメで撮りまくる。スゲ~!!!と歓喜しながら。

たぶん帰ってから友達やブログに、

「すごかったょ叫びはやくみんな元気になればいいなぁラブラブなんてねべーっだ!

とか書くのかな。

後ろでは重機が通れなくて家屋の片付けも、遺体探しもできない。自分の思い出を探す、泥だらけの私たち、撮られたくないのわからない、よね。

黒くドロドロした気持ちが渦を巻く。毒を吐いてごめんなさい。