無常観。
この世の全ては常に変化し消滅する。
陸前高田の惨状を体で感じて俺の心に自然に湧き上がってきた。
今、こうして日記など書いている日常など、自然のきまぐれ、運命のいたずらであっという間にひっくり返され消滅する。
それが自然の摂理だと強く感じる。
陸前高田市も以前は平和な街だったに違いない。
そこにはなんの罪もない人々が平和な暮らしを営んでいたに違いない。
それが一瞬で地獄に変わってしまった。
神も仏も信じちゃいない。
無常がこの世を支配する真理だ。
無常は諦めの思想だろうか。
なにもかも変化し消滅するなら、初めから何も持たないほうがいい。
大切な人間関係も健康も金も地位も名誉も感情すらもなにもかもいらない。
はたしてそうか。
違う。
無常は手に入れること自体を諦める思想なんかじゃない。
持ち続けることを諦める考え方ではない。
持っているものが次の瞬間に無くなっても当たり前だ、と考えることだ。
失くすことを覚悟する思想だ。
失くすことを覚悟していれば、毎日が愛おしくなる。
今あるものを深く愛することができる。
そしてその感情すらも無常である。
だから、大切にする。
仮にそれら全てを失くしても、苦しまない。
なぜなら、失うことは当たり前=無常だから。
無常を前提にして、今まで深く愛したから。
これからはそうやって生きていこう。
無常観とともに歩こう。
無常を人生の背骨にしたら、とても楽になった。
つまらない悩みが本当につまらなくなってきた。
より自由になった気分だ。
周囲から自由だ自由だ、と揶揄されてきたのだが。