滞在20時間で実家から戻る途中の風景を・・・。
ちなみに、実家は宮城県気仙沼市。
フカヒレ、カツオ、サンマで有名な海の町です。
しかし今回は「弾丸ツアー」なみの滞在時間だったのでどこにも出かけず、両親としゃべったり家の前で花火をしたり、まったりして過ごしました。一泊ですしね
(ムスメは小さないとこ達と、-20℃の「氷の水族館」などに行ってました)
気仙沼から東京に戻る場合、新幹線の一ノ関駅まで出ます。
ローカルのJR大船渡線か、一ノ関行きの急行バス、もしくはクルマを利用。
いずれの場合も1時間前後。“トトロ”っぽい緑の風景が広がり、気持ちいいですよ。
今回は、接続のいい大船渡線で。
一ノ関近くの「陸中松川駅」。線路に沿うように建っているのが
『石と賢治のミュージアム』
賢治とは? そう、宮澤賢治です。
★左側のオレンジが入り口。線路沿いの木の遊歩道には
金属製の昆虫の大きなオブジェ。茶色っぽい屋根と、
その奥の白い建物までミュージアムは続いてます。
この土地は、石灰岩の鉱山が多く、晩年の宮澤賢治が鉱山技師として招かれ、東北砕石工場という石灰工場で働いていたそうです。
その跡地が、このミュージアム。
もっと近くでミュージアムを撮りたかったのですが・・・
白い建物の一番奥が、採石場跡です。
今回は車窓から眺めるだけでしたが、以前うかがったときは、さまざまな賢治の資料を見たり、保存されている石灰の採掘現場を見学したり、数千個あるという、世界各地の石の展示をみたり。特に、紫外線に当たると光る蛍石は、ラピュタの飛行石みたいで幻想的な美しさ。
かなり、いろいろと楽しめました。
そして、あの「アメニモマケズ、」が書かれた手帳のレプリカも展示されています。
石灰を原料にした肥料や壁剤を作った賢治は、営業としてあちこちへ売り込みに出かけて行ったそうです。
けれど、もともと体が丈夫ではなかったために、東京に出かけたときに病に倒れ、実家のある花巻で闘病。
亡くなったあとにトランクからこの手帳が見つかったそうです。
文末に書かれた「ソンナヒトニ ワタシハナリタイ」というのは、この土地の鉱山や畑で働く人のことを指しているのではないか、という解説を聞きました。
道路を隔てた手前には、水田が広がっています。
思いを行動に移すための丈夫な体。
したいことがたくさんあるのに、ままならなかったことが伝わり、胸が痛くなります。
けれど、「ナリタイ」の一言に、こぶしをぎゅっと握るような、祈りや希望を感じます。
体力のある農夫や鉱夫が大勢いて、生命力のある木々や植物あふれるこの土地で
絶望はしてなかった。そう思えました。
視界のほとんどが、濃い緑と、空の青。
途中下車して、次の列車までのんびりするのもおすすめです。
「雨にもマケズ」全文