令和六年(甲辰) 皇紀二六八四年 西暦2024年

8月(辛未) 2日(戊戌 つちのえ・いぬ)

和暦 水無月二十八日 第5693回

 

(金曜散策に和泉の龍光寺まで歩いた。途中、小枝の先までカズラに覆われた大木に感動した。お互いがお互いの利益のために支えあっている姿が心に染み入る)

 

【星とたんぽぽ】(金子みすゞ「金子みすゞ 童謡全集」(JULA 出版局))

 

青いお空の底ふかく、
海の小石のそのように、
夜がくるまで沈んでる、
昼のお星は眼にみえぬ。
  見えぬけれどもあるんだよ、
  見えぬものでもあるんだよ。

散ってすがれたたんぽぽの、
瓦のすきに、だァまって、
春のくるまでかくれてる、
つよいその根は眼にみえぬ。
  見えぬけれどもあるんだよ、
  見えぬものでもあるんだよ。

 

【海乗の独り言】

 

 今日で被災して50日目を迎えた。先日、ソウルメイトから「老夫婦被災地生活90日間」(貞方勉著)という冊子をいただいた。元日の能登半島地震の被災者である貞方勉さん(73歳)が、その日から3月30日までの90日間の日記を冊子にまとめたもので、その詳細な記録風の日記を読みながらいろんな思いが湧いてきた。

 

 50日目の2月19日の日記を引用する。

「車でGSに行って車のガソリンの給油と灯油の補充(60ℓ)をしました。一室とはいえ、一日中室内に閉じこもる時間が多い関係で灯油の消費はいやが上にもかさみました。だいたい1週間で灯油タンク一本(20ℓ)のペースで消費しました。帰りがけに郵便局へ寄って、郵便物を発送し、窓配を受け取ってきました。新潟県に住む友人の手紙があり、今回の震災で友人の家は無事だったものの、付近には液状化で傾いた家が何件もあるということでした」

 

 最大震度7の大地震に見舞われた奥能登(能登町)で年金生活をされていた貞方ご夫妻の平穏な日常が一変し、家と命は助かったものの、電気も水道も無い被災生活が事細かく書かれていて、その90日の惨状と苦闘の様子が伝わってくる。寒さと余震に不安と恐怖におびえながらもご夫婦で励ましあい、助け合って、前を向いて復旧と復興への希望の灯を持ち続けて歩まれるお二人にエールを送りたいと思った。

 

 大地震と半焼では比べることもできないが、それでも住める家が突如無くなり、衣類も家具も家電も書籍も・・・98%“火災ごみ”として出さざるを得ない事態に直面した時の、あの5月14日の夜、車で外出していたお陰で助かった愛車に乗って、着の身着のままホテルに行った時の放心状態は表現できない。

 

 翌日の現場検証で、居住人である僕たちの過失ではなく、天井裏の漏電出火が原因だと判明し、夕刻には大家の英断で徒歩5分の新築マンションの空室に仮住まいの許可が下りた時、その放心状態から脱することができたが、嘘のように思え、夢ではないかと頬をつねった。

 

 “見えぬけれどある“宇宙の采配により、赦されて、導かれて、絶対絶命の淵から救出されたことに対して、ただただ感謝申し上げたい。昨日、別のソウルメイトからいただいた書籍に引用されていた「星とたんぽぽ」の詩を何度か拝読しながら、「見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ」という言葉が魂に響いてきた。

 

 この50日間、天とご先祖様達と親族、友人、そして多くのお客様達の支えの中で生かされてきたことに、「老夫婦被災生活90日間」を読みながら、改めて強く感じいることができ、本当にありがたく感謝にたえない。

 

【健康一口メモ】(寺田牧人・NPO法人 日本食用塩研究会「塩は体に欠かせない命の源」)

 

 ここでぜひ心に留めていただきたいのが「適塩」という言葉です。不自然な減塩に走ることなく、また塩分を過剰にとりすぎることもなく、自分の体に最適な塩を適切に摂取するにはどうすればよいか。一番確かな判断基準は自分が美味しく感じるか、否かだと言えます。美味しいと感じるということは、それを体が欲しているからです。

 

 高純度の塩化ナトリウムと伝統海塩のどちらかを体が望んでいるかは、それでの塩で握ったおにぎりを食べ比べてみれば一発で判断できるはずです。また、塩分を取りすぎたときには必ず水分が欲しくなり、体内に取り込みすぎた塩分を薄めようと体が無意識のうちに反応してくれます。

 

 体の声にしっかり耳を傾ければ、自分にとっての適塩は自ずと分かってくるものであり、それによって体のミネラルバランスを良好に保つことができるんです。