令和六年(甲辰) 皇紀二六八四年 西暦2024年

6月(庚午) 7日(壬寅 みずのえ・とら)

和暦 皐月三日 第5637回

(近くを走る井の頭通りに街路樹はヤマボウシだが、日々排気ガスにさらされて元氣がない。ところが、旧住居から新住居に歩くと、途中に元気なヤマボウシが玄関先にあるお宅の前に通る。毎年この時期になると人目を惹き程の元氣な笑顔で咲いている)

 

【知ること】(坂村真民)

 

世界中のこと、男女のこと、その他いろいろのことなど知らなくてもいいのだ。

限りのないことだもの。

それより一つのことをはっきりと知ったほうがいい。

愛とは何か。

神とは何か。

仏とは何か。

生とは死とは。

己とは。

その何れの一つでもいい。

納得のいくまで知ることが大切だ。

 

【海乗の独り言】

 

 子供のころから知識欲は旺盛だったが、好きなことにはこだわった。中学まではあまり悩むこともなかったが、高校に上がり、進学校だったので進路を決める時に初めて大きな悩みが生まれた。色覚異常が進路に影響することが分かり、理系に進むことは決めていたから、進める学科が理系では「数学科」だけだとわかった時、目の前が真っ暗になった。

 

 中学の頃、天文学者か、無医村の医師にあこがれを抱いていた僕には強烈なパンチだった。必然的に消去法の人生が始まった。「○○がしたいからではなく、△△がしたくないから○○を!」という消極的な消去法で安全策を追う暗い気持ちに落ちた。大学入学後に訪れた「五月病」は「何故?どうして?生きるとは?神仏はあるのか?愛とは?」等々を自問するように導かれていったように思う。

 

 大学卒業後の進路に悩んでいた4年生の秋、一冊の月刊誌(中央公論)を雑誌室で手に取ったことが、運命の岐路になった。スパイ容疑(実は冤罪)で捕まったベトナムのジャーナリストが、(新妻と乳飲み子を残して死ねない)という魂の叫びが、拷問を越えての脱獄のシナリオを選択した。

 

 宇宙が応援するか、否かは何が分かれ目なのか?心の中の小さなエゴの思いに宇宙は応援することはない。「他のために生きる」時、「誰かの為に生きる」時、宇宙は応援体制で臨んでくれることを社会に出て46年の半生で、言い切ることができることが嬉しい。

 

 今朝、「宇宙からのメッセージ」を開くと、「宇宙は無限の愛」という章を拝読していた。そこにあった以下のフレーズが心奥深くに落ちた!

 

「手、足、顔、内臓すべての部分を組み合わせて肉体は、自分自身のように思われますが、それは字のごとく肉の塊であって心臓がコットンと止まればご遺体と呼ばれてしまうんです。脳は肉体の一部であって自分自身ではありません。いつもコロコロと変わる考えは、自分自身のように思いますが、自分自身であるはずがありません。

 

 私たちは生命を生きているのです。当然のことですが、生命が自分自身なのです。ということは、自分自身とは肉体も心も支配する生命なのです」

 

 これを「知ること」が大切だ!

 

【健康一口メモ】(塩谷信男「自在力」)

 

 自律老人を増やす方法あるのか。他ならぬ正心調息方がその有効策の一つであることは、この塩谷本人が“生き証人”であると言えましょう。私は96歳の今でも60歳並みの体力と健康を維持し、食事や排泄はもちろん自分ひとりでできるし、体のどこにも不調を感じていません。

 

 血圧も壮年時の数値を維持していますし、歯も自前、ゴルフの腕は少し衰えましたが、まだ若い連中とプレーもできます。記憶力や頭の働きも至極順調です。この先少なくも100歳それは元気な自立老人として健康長寿を保っていられるのは確実です。