令和六年(甲辰) 皇紀二六八四年 西暦2024年

5月(己巳) 12日(丙子 ひのえ・ね)

和暦 卯月五日 第5611回

<母の日 Mother's Day>

(公園の帰りにいつもと反対の道に自然に足が向かった。角のお宅の庭の一角に薔薇が美しく咲いていた。今日は≪母の日≫、日頃の感謝の想いを母に伝える日!一日前に到着して昨日、母から電話をいただいた。今年も元気な声が聞けて本当に有難い)

 

【尊重される生き方】(鍵山秀三郎)

 

 いい人生を送るためには、人から尊重されるようになることです。

 尊重されるためには、「あてにされる」「頼りにされる」「好かれる」、そんな生き方を心がけることです。

 具体的には掃除をすることです。身の回りを掃除して環境を整えると、人から尊重されるようになります。伊勢神宮が尊重されるのはいつもきれいに掃き清められているからです。

 

【海乗の独り言】

 

 昨夜、正観さんの動画を見ていると、「掃除」について面白おかしくお話されていた。「自分磨き」「こころを磨く」ためにトイレ掃除をしている人と、「損得勘定」でしている人のどちらが信頼できるのか?というテーマだった。

 

 正観さんの主張は「損得勘定」でしている人の方だと語っていた。僕も入り口としては「そうだった」ような気がする。2011年10月13日から公園のトイレ掃除に着手して13年目に入っている。今朝、強風で落ちた枝の片づけを終えて、トイレ掃除を済ませて帰ろうと歩いていると、斜め向かいのアパート経営されている白髪のおじいさんがベンチで新聞を読んでいたのだが、こちらに歩いてきた。

 

 「公園のお掃除をしてきれいにしてくださっているのですね」

 「はい」

 「本当にありがとうございます」

と頭を下げて丁寧なご挨拶をしていただいた。

 

 「損得勘定」から始まった「トイレ掃除」「ゴミ拾い」であったが、行いながら「自己浄化」「自分の心の汚れを落とす」ような思いで行ってきた。鍵山秀三郎さんはどんな心境なのか?と確認したかったが、今朝、開いた一日一話の中で述べている言葉に共感した。

 

「『私がこのゴミを拾わなければ一日中、ここを通る人の目に触れる。私がこのゴミを拾えば、通る人たちが汚いゴミを見ないですむ』最近そう思うようになりました」

 

 かつて、外出中に急にトイレに行きたくなって入ったトイレが汚くて、悲しい思いをしたことがあったが、その体験以来、トイレ掃除の想いが進化したように思う。「できることを喜んで」という思いでこれからも楽しく感謝して歩んでまいりたい。

 

【健康一口メモ】(安保徹「人が病気になるたった2つの原因」)

 

 こうした体の仕組みが理解できれば、ゆっくり深い呼吸をすることが心身のバランスを整える手段の一つとなることが納得できるはずです。

 

 昔から高僧が座禅をし、腹式呼吸を繰り返す修行を続けてきたのは、怒りやイライラや迷いを鎮め、解糖系を休ませることで。ミトコンドリア系の悟りの世界へとシフト展示するための知恵であったわけです。太極拳やヨガのような有酸素運動が、健康法として尊ばれてきたのも同様の理由によるものでしょう。