令和六年(甲辰) 皇紀二六八四年 西暦2024年

5月(己巳) 6日(庚午 かのえ・うま)

和暦 弥生二十八日 第5605回

(昨年冬に西永福公園の銀杏の大木が数本大きく剪定された。大きな枝を残してほぼバッサリと枝葉が落ちた。この春、新芽が出るのかと興味津々だったが、大きな幹から芽が出て、数枚の大きな銀杏の葉が登場!よく見るといつもより葉っぱが大きいように思う。気のせいではなく、やはり一回りは大きい!剪定された木が生存の危機を感じて大きな葉っぱを付けて、光合成の力をアップさせる狙いがあるように思えて感動!)

 

【運命の構造】(小林正観「淡々と生きる」)

 

 30年前に別の人と結婚していたら、私はどんなに幸せだったことかと言う人がいます。しかし、現実にはその人しか選びようがなかったのです。「相手がたくさんいたのに」と言いたい気持ちはわかるとして、その人しか結婚相手いなかった。あの人と結婚しなければもっと幸せだったのに、というのは見当違いです。その人しか選びようがなかったのです。

 

 過去の自分の選択はすべてシナリオどうりです。これからも右でも左でも好きなほうを選んでいい。でも、選んだ結果は、生まれる前に書いたシナリオのとおりなのです。

 

 選びに選んだ結果、シナリオどおりである。そうわかってしまったら、考え方としては恨んだり、愚痴を言ったり、泣き言を言ったりするのは意味のないことです。だったらそんなことやめなさいということです。大学に落ちたから、病気をしたから、事故に遭ったからといって人生終わりだという結論にはなりません。我が身に起きることは、すべて自分の魂が生まれる前に書いたシナリオどおりであると思い定めることです。

 

【海乗の独り言】

 

 先日、紹介した岡田多母さんの著書「天人に還る」の出版社である風雲舎の本が最後の5ページにわたって宣伝がされていた。その中を眺めていると、一冊の本が目に留まった。「人生のシナリオは決まっているから」とサブタイトルが書かれた「淡々と生きる」(小林正観著)だった。小さな字で「正観さんの遺書」という文を見て、(買わなきゃ)という思いが湧いてきて、Amazonに発注。昨日届いた。

 

 帯には「最後にたどり着いた澄み切った境地」とあった。開くと、「編集部から」のご挨拶分が「プロローグ」の代わりに書かれていた。「本書は平成23年2月、出版に向けて小林正観さんとの話し合いをもとに企画されました。タイトル、構成、章立て。細目などに至る内容全般について、著者の意向に沿って準備を進めておりました。ところが、平成23年10月12日、突然著者の訃報が伝えられました」

 

 僕と正観さんの出会いは「致知」で、2003年1月号に特集「言葉が運命を拓く」の中に登場されていた。

「私たちが発すべき言葉はうれしい、楽しい、 幸せ、愛している、大好き、ありがとう、ついてるの七つ」だということで、実践開始して二年間たった時に、本当に「運命が拓かれていく」出来事を体験し、2005年1月1日から独立して「命理学研究所 うみのり」の船出をしたことを思い出した。

 

 それから20年目に入っているが、「人生のシナリオは見事に展開してきた」と実感を込めて言える。「自分総監督」の人生ドラマ(神劇)はなんと波乱万丈で、感動、感激、歓喜、そして感謝のシナリオなのか!と目を閉じて内観瞑想していると、腹の奥底からその想いが湧き上がってくる。

 

 必要なことが必要な時に起きている事実にただただ畏れ入る。すでに約束され、備わっているものを使って、今日一日の「舞台」に想いを込めたい。

 

【健康一口メモ】(安保徹「人が病気になるたった2つの原因」)

 

 例えば、ガン検診などを受けると、その度に一喜一憂して不安や恐怖と向き合わなければなりません。医者にその気がなくても検診を進めることで、結果的に患者のストレスを増加させ、ガンを作っている面もあるのです。これは健康診断や人間ドックに関しても同じことが言えます。

 

 無用な怯えを作るものであるならば無理に続けることありません。わたくし自身、自律神経業務を確立し、こうした病気のしくみを理解するようになってからは、検診となるつくものはほとんど受けなくなりました。