令和六年(甲辰) 皇紀二六八四年 西暦2024年

4月(戊辰) 24日(戊午 つちのえ・うま)

和暦 弥生十六日 第5593回

(霧雨が降る朝、公園の花壇を彩るツツジたち。濡れて浄化され、笑顔で道行く人たちに生きる勇気と希望を与えているかのようだ)

 

【 師 】(坂村真民)

 

 人間として最高の喜びは終生の師にめぐりあうことである。

 危機というものは、いつの世にも人間がつくり出すものである。それは人間の業かもしれない。そうしてそういう業の中に生まれ、生きねばならぬわれわれにとって、師とのめぐりあいのふしぎは、星のように光り輝き、虹のように美しい。それにしても、そのようなただ一人の師にめぐりあうこということは、いかに至難のであろうか。

 

【海乗の独り言】

 

 坂村真民さんがめぐりあった師は杉村春苔先生であった。その喜びを詠った詩が二編ある。一つが、「出会い」であり、もうひとつが「めぐりあい」である。

 

 「出会い」

 

 すべては出会いである

 川も出会いの喜びに

 音を立てて流れてゆく

 その川辺に立っていると

 わたしは師にめぐりあった喜びを

 川と共に語りたくなる

 

 「めぐりあい」

 

 大いなる一人のひととのめぐりあいが

 わたくしをすっかり変えてしまった

 暗いものが明るいものとなり

 信じられなかったものが信ぜられるようになり

 何もかもがわたくしに呼びかけ

 わたしとつながりを持つ親しい存在となった

 

 僕の人生にとっての「師」の一人が神渡良平先生である。47年前、大学生の時にめぐりあった学生寮の机に書かれた落書き「SARUWATARI」。その出会いから15年後の1991年12月、上司の推薦で書店で買い求めた「安岡正篤の世界」(同文館)が神渡良平先生の処女本で、著者プロフィールを目にした時の驚きは計り知れないものだった。

 

 本名「猿渡良平」、鹿児島県出身、九州大学医学部中退。頭の中で一致した!「鹿児島出身の秀才がいた」と大学の先輩から伺っていたから。この処女本との出会いが「安岡正篤シリーズ」を買い求めるきっかけになり、「命理学」から「命理道」への学びの起点となった。

 

 その流れが人間学月刊誌「致知」との年間購読に繋がり、1994年7月号から購読し、1995年11月号の特集「一道を行く」での坂村真民さんのインタビュー記事に感動し、「寅の一刻」なる宇宙の氣を体感し、導かれるように運命の「食事道」にめぐりあうことになったのが、1997年1月号のPR記事「手軽な玄米食健康法」であった。

 

 2002年2月19日の誕生日のお祝いに玄米酵素の創業者・岩崎輝明社長(当時)から一冊の書籍が届いた。「下坐に生きる」(神渡良平著・致知出版社)であった!この本に書かれていた「安岡正篤の世界」の出版に至る「まさかの坂」(38歳で脳梗塞)の体験談に心動かされ、あの大学時代の机の落書きにめぐりあったことからの「命理学」への学び、そして「玄米酵素」に出合えた奇跡を礼状に書いて送った。

 

 そのことが翌年2003年4月の神渡良平講師による「さざ波塾」での人間学の学びに導かれ、良平先生に感動の初対面となり、12年前に購入した「安岡正篤の世界」を持参して、サインをいいただいた。そのサインが「喜神を含む」であった!

 

 その時から21年の歳月が流れた。先生はちょうど一年前、ご自宅で急に気を失い、入院され、5月1日に天界に召されていった。「一年祭」目前となった今日、この坂村真民さんの詩を拝読し、本当に終生の師にめぐりあえた喜びを改めて味わうことになった。1年祭の5月1日、奇しくも「立夏お話会」へと導かれ、会場も玄米酵素東京支社という因縁のエコロホールで開催する。

 

 GWの只中ではあるが、もし、予定が空いた方でピンと来た方はまだ空席があるので、お問合せ下さい。(080-1065-5418,meiridou0358@gmail.com)地上と天界とのコラボレーションで新時代の幕開けにふさわしい「立夏お話会」にしたい。

 

【健康一口メモ】(安保徹「人が病気になるたった2つの原因」)

 

 しかし、それは身に迫った危機を乗り越えるための反応であり、本来適応現象と呼べるものです。そう考えれば、病気と呼ばれる現象は体の働きが悪くて陥ってしまったものではないことが分かるでしょう。

 

 実際、顕微鏡で観察すると、ガンがとても真面目に一生懸命に分裂しているのがわかります。いろいろな先入観を外してありのままを見れば、その働きは健気でとても悪い存在には思えません。


 これは体が正常に反応した結果ですが、長時間労働や心配ごとなどで低酸素低体温状態が持続すると、ガン細胞を生み出す解糖系の世界にどんどんと入り込んでいきます。そして最後は個体の死を迎えるのです。