令和六年(甲辰) 皇紀二六八四年 西暦2024年

4月(戊辰) 10日(甲辰 きのえ・たつ)

和暦 弥生二日 第5579回

(冷たい雨も上がり、朝から快晴の東京。公園のヤマブキも朝日を浴びて嬉しそう。青空に生える山吹色にパワーをもらった!)

 

【使命というのは・・・】(三浦綾子)

 

 使命というのは命を使うと書くでしょう。私は小説を書くことが自分の使命だと思っているので、死ぬまで小説を書き続けます。今、私は体を病んでいますから小説を一冊書いたらくクタクタになって、ああ、命を使ったななと実感するんです。けれども、小説を書くということは、自分にとって命を使うことで、それが使命なので、その使命を全うしたいと思います。

 

【海乗の独り言】

 

 今朝、「生き方の教科書」を開けると、4月10日のページには柏木哲夫氏(金城学院大学学長)の「使命、懸命、宿命」のお話だった。読み始めると、この「使命」について、三浦綾子がテレビの取材で言われていた言葉に釘付けになった。

 

 昨年5月1日に75歳で天寿を全うされて天界に戻られた伝記作家・神渡良平先生のことが思われた。というのは76冊目の著書の原稿が出来上がり、何社かの出版社に持ち込んでいたことを伺っていた題材が、三浦綾子さんの生涯についてであったからで、無念でならない。

 

 まさに、75年間の生涯を伝記を書き続けて多くの読者を勇気づけ、運命をひらく道筋をお示しくださっていた。僕の人生は33年前の1991年12月に先生の処女本「安岡正篤の世界」(同文館)を手にした時から動き始めたといっても過言ではない。

 

 その11年後の2002年2月19日、満46歳の誕生日に贈り物として、玄米酵素創業者の岩崎輝明社長(当時)から送られてきた「下坐に生きる」(致知出版社)をカバンに入れて、大分行の飛行機に乗り込み、機上で読んでとても感動の涙を抑えられなかった。

 

 礼状を岩崎輝明社長(当時)に出したことが翌年の神渡良平先生との初対面へと導かれることに繋がり、その後の20年、本当にご縁をいただき、皇居勤労奉仕では草むしりをしながら「ご縁があるね」と優しく語りかけてくださった。

 

 先生は38歳で脳梗塞に倒れられた後に、伝記作家としての道を拓いていかれ、心臓のバイパス手術もなさるほどにその身体を酷使し、文字通り、伝記を書くために「いのち」を削り、「いのち」を懸けた75年の御生涯だった。

 

 では、自分は何に「いのち」を使うのか。そのことが自分の使命を明確に自覚を新たにする自問だと思う。静かな時間を持ち、静坐内観瞑想時に、このテーマで問いかけてみることが「原点回帰・共振突破」の機運に乗ることだと確信してやまない。

 

 5月1日に開催する「立夏お話会」(両国エコロビル4Fのエコロホール、午後1時30分~4時30分)は奇しくも神渡良平先生の一年祭の日に重なった。(立夏は5月5日であるが、GWの連休で会場の都合から5月1日に導かれた)今回初めてオープニングに「真琴」を瀧里しひなさんに和歌を歌いながら演奏していただくことになった。これも天からのお導きだと感謝申し上げる。天界にその音色の響きを届けたいと思う。

 

 GWの只中であるが、もしピンと来た方は連絡ください。新なるご縁がそこから始まるかもしれない。

(080-1065-5418,meiridou0358@gmail.com)

 

【健康一口メモ】(安保徹「人が病気になるたった2つの原因」)

 

 人はなぜ癌になるのか?それは決して難しいものではなく、働きすぎや心の悩みなどによるストレスとそれによる血流障害、すなわち冷えが主な原因です。なぜなら、こうしたストレスや血管障害が重なることで、私たちの体に癌になる条件が整ってしまうからです。

 

 がんになるということも含め、それは命の働きの一つです。表面的な善悪の管理を取り払えば、がんもまた体の知恵であることがわかってきます。癌以外の病気にしても、すべては体の知恵であり、決して間違いで起こるものではありません。この意味がわかると、病気に対する考え方はがらりと変わります。癌を排除しようとするばかりか、三大療法の欠点も見えてくるでしょう。