令和六年(甲辰) 皇紀二六八四年 西暦2024年

3月(丁卯) 16日(己卯 つちのと・う)

和暦 如月七日 第5554回

 

(遅咲きの梅の花にやって来たメジロの小鳥たち。美味しそうに花の中にくちばしを入れて次から次へと花々を渡っている。春が来るまでどこでどのように過ごしていたのか?)

 

【運命をひらくもの】(松下幸之助「致知4月号総リード文から」)

 

 悲運と思われる時でも決して悲観し、絶望してはいけない。

 その日、その日を必死になって生き抜くことが大事。

 そのうち、きっと思いもしない道が開けてくる。

 

 すべてを善意に考える。

 すべてを修行と考える。

 そこから必ず道が開けてくる。

 

【海乗の独り言】

 

 今月号の「致知」の特集は「運命をひらくもの」。総リード文を読んで思ったことがある。「このテーマで話して欲しい」と言われた時に自分だったらどんな話をするだろうか?と自問してみた。その大前提は、「自分自身の運命がひらかれた!」という実感があること。

 

 18歳で故郷大分を後にした。福岡での大学生活を終えて、上京した時のことに思いを馳せる時、感慨深いものがある。明確なビジョンを描けないままに何かの流れに乗って上京したような気がする。「思考は現実になる」と言われるが、若かりし頃の「思考」とは「自我欲」から出て来るものだった。

 

 「どう生きるのか?」より前に、「どう自立、自活できるのか?」で必死だった。まさに、「無我夢中でああった」20代~30代。「その日その日を必死になって生き抜いた」実感がある。そんな無我夢中でいただいた仕事をこなしていた35歳の冬(平成三年、1991年12月)に上司から言われた一言が運命をひらく起点となったことを今だから言い切れる。

 

 「あなたの先輩がいい本を書いた。読んだらいいね」。その本が「安岡正篤の世界」(神渡良平著)であった。「運命の岐路」に立った。書店で手に取った時、表紙に登場された安岡正篤という名前もお顔も存じ上げなかった。プロローグの小見出しが「新元号『平成』の考案者はだれか」だった。興味をそそられて立ち読みし、その考案者が「安岡正篤」氏であることが分かった。

 

 "歴代首相、主要財界人の知恵袋、東洋思想の第一人者として名高い"ということで読んでみたいと思い、2500円を出して購入した。このような賢人が日本にいたことを知らなかったことがショックだった。安岡シリーズを買いに書店に行き、「干支の活学」「知命と立命」を購入したのが、平成四年(1992年)1月5日であった。

 

 この二冊を皮切りに購入した本の中に致知出版社の「立命の書 陰騭録を読む」があった。その本の最後のページに「月刊誌 致知」の宣伝を見て、年間購読(購読料8700円、現在は10500円)を始めたのが、1994年7月号からであった。この7月号で30年となるわけで、よくぞ一度も休むことなく行動し続けてこれたと感心している。お陰様で「運命がひらかれる」節目節目の分岐点で助けていただいた!

 

【健康一口メモ】(宮川路子・法政大学教授「最強の水素術」)

 

 私とFBRA(玄米酵素)との出会いは、50年前にまでさかのぼります。祖母が毎食後、FBRAを飲んでいたのです。「これを飲んでおけば大丈夫」とにっこりしていた姿が印象的でした。祖母は98歳で亡くなるまで。 40年間、FBRAを飲み続けました。"三種の神器"(①水素②ビタミンC③FBRA)の発見は、優しかった祖母からの贈り物なのです。