男は見ている。私の頭のてっぺんから、脚の先っぽまで値踏みするみたいに。

「ん…本当いい体してるよね」
 この男の口からそんな台詞が聞けるなんて、脚も胸もどちらもあらわになるワンピースで来たかいがあったと、心の中でほくそ笑む。普段は、見せるのはどちらかにするのが、私の美学だから。

 脚の先からあがってきた男の視線をわざと捕らえて絡ませた。そして、男が何か言おうと息を吸った瞬間に目をそらせた。


 男は、一年前に勝手に私から離れていった負い目があって今更私を口説けないでいる。何もかもを持っている男が、たったひとりの(それも、私みたいにそうたいしたことのないような)女を手に出来ない姿はかわいらしく映る。私、どうしてこんな愛らしい男に振り回されていたんだろう?


 それは例えば、二日前に会ってセックスしたばかりの朝に、急に連絡してきてこっちは抱かれる準備なんてしてきてないのに(ほら、下着を選ぶだとか、ムダ毛の処理とか。女は案外大変でしょ?)会うなり私を下着だけにして鏡の前に立たせてから、下着を割れ目に寄せておいてその隙間から性急に繋がったりだとか(恥ずかしくて目を閉じると“ちゃんと目を開けて見て”って強要されたのには心底困った)


 そうかと思ったら二ヶ月も連絡をよこさないでいたりしたくせに、久しぶり、とも言わずに電話をしてきて“最近調子はどう?”だなんて軽く話しだしたりだとか(こっちは、いつ連絡があるんだろう、ひょっとしたらもう私の事なんて忘れてしまったのかなあ?って毎日びくびくしながら生活していたのにね)
 
 けれど、そういった日々が終わったことによって痛感したことは、もう喉元がぐらぐらするような不安に駆られる事がなくなって、私にとって平穏な日常が戻ってきたんだという開放感。それと同時に、それらの支配が無くなってしまうことに対する、女としてやりきれないほどの喪失感だった。


「すみません。ビールをもう一本」
 私にまだ飲むのかどうかも聞かず、男は追加を注文した。

「先ほどと同じでものでよろしいでしょうか?」
 表情も変えずに仲居さんは注文を受けた。顔立ちはいいのに、疲れた顔なのと、前歯に口紅がついているのが気になる。


 視線を窓の外に移すと、快晴で真っ青な空と水平線が広がっている。きっと女ともだちとは来ないような格上な感じの料亭のすみっこの席に、わたしたちは向かい合って座っていて、目の前のふたりで座るには少々大きすぎるテーブルには、烏賊の生き造りや、はまぐりのすまし汁、それから山菜の煮付けの入った小鉢なんかが並んでいる。


「どうしたの?気が利くわねえ。何か企んでるの?」

「いやいや、一緒に食事できるだけで嬉しいよ…ヨーコみたいなアゲでいい女と、俺なんで別れたんだろう?」

「今更よく言うわよ。体だけの女だったくせに」
 小鼻に皺を寄せて舌を出してから、意地悪に微笑んで見せると、男は顔をしかめて首をひねった。このひとは、困ると首を少し右にひねる。

「いや、こんな俺の事解かってくれる女はヨーコだけだって。今更だけど思うんだよ」

「へーえ、そんないい女がどうして振られたのかなあ?」
 くすりと頬を緩めると、男の首はさらに右に回り、煙草を吸っていいかと私に聞いてから、さっきビールの追加を注文した無愛想な仲居さんに灰皿を頼むと、銀のジッポでかちりと火をつけた。


 沢山の女を支配してきたこの男に対して優位に立てているこの状況が、とても気持ち良い。ついからかいたくなってしまう。わざと頬杖をつくと、男の視線はいつもよりボタンをひとつ多く開けた私の胸元に移動して、目がキラキラと光りだした。


 ね、もっと、見て?
 そしたら私はもっと、もっと焦らしてあげるから。
 そうして、あなたの目の底がじりじりと真っ黒に焦げ付いてしまいそうになって、男のひとなのに女の子みたいに下着がびしょびしょになっちゃったら、私からキスしてあげる。


 抑制を重ねたあとの行為は、きっと格別なんだろうけど私はわざと感じない振りをして、あなたを困らせるの。
 あの、仕事を器用にこなす繊細な指で胸の先っぽをつままれても、髭がぐるりと囲んだセクシーなくちびるで私のヴァギナを吸っても、たっぷり筋肉のついた上腕で強く抱きしめられても、冷めた態度をとり続けるの。

 それで、あなたが心から途方にくれた頃に、その逞しい腕をしっかりと組みふしてから、私が上から重なってあなたを支配してあげる。


 でもね、すぐには動かないで、最初は腰を浮かせて先っぽを弄んで、その鍛えられたカラダも、これまで培ってきた経験や地位も、全てのものが私に対して屈服したら、少しずつあなたのを飲み込んであげる。
そこから、あなた優位だった今までのわたしたちとは真逆の関係をはじめるの。

 私が手元で弄んでいたコップに残ったぬるいビールをごくりと飲み干すと、男は伝票に手を伸ばして、
「そろそろ、行こうか?」と、窓の外の遠くに見える小さく浮かんだ船を見ながら言った。

 私はきっちりと男の目を見据えてから、
「そうね。そろそろ、行きましょ」とこたえてコートを羽織ってから、ふふふ、と薄く笑った。