初めて釣りに出かけたのは小学校2年生のときだった。
同級生で遊び友達のY君に連れていってもらった。
もし自分の息子が小学校2年のときに、子共達だけで海に釣りに行くといったら
もちろん私は顔を真っ赤にして、鬼のように大反対したことだろう。
考えてみると、ずいぶん無謀なことばかりしてきたものだ。

 「ね~、一緒に釣りに行かない?」
Y君に誘われたときは、本当に舞い上がるほどうれしかった。
前日の夜は遅くまで眠れず。布団の中で悶々としたものだった。

Y君は当時、子供とは思えないほど海のことを本当によく知っていた。
釣り道具の作り方から、餌のとり方、釣り場の状況まで
6人兄弟の末っ子だった彼は、いろんなことを兄・姉から教わったようだ。

私はといえば、本土から引越してきて3年ほどしかならなかったから
沖永良部の生活にやっと慣れてきたころで
本当に海のことなど何もわからない状況だった。

その日は土曜日、授業(今のように学校は休みではなかったから)
での先生の話など、まったく耳に入らず。頭の中は海のことばかり。
「こら~!」とおこられても、うわの空状態だった。

学校が終わると、家に帰る前にまず近くの山へ向かった。
当時はグラスファイバーの竿なんて売ってるはずもないし
仮に売っていたとしても、当時の小学生に買えるような物ではなかっただろう

Y君の家も、私の家もはっきりいって貧しかったから
まず竿を調達する必要があった。
Y君は近くの山に竹があるところもよく知っており
すぐに自分の分と私の分の2つの竹を切り出してきた。
それから家に帰りおにぎりを作ると、それを持って海に向かった。

海に着くとまず最初に、餌取りがはじまる。
そのころ沖永良部では、餌を買うという習慣はなかった。
今漁協の先輩方に聞いても、当時は朝薄暗いときから
餌のイカを追い込み網でとった後、漁に出かけたそうだ。
当時、魚はたくさんいたから、魚をとる技術より
餌のイカをとる技術のほうが大事だったとか・・・

もちろん小学生の子供たちにそんな技術はないから
もっと簡単に取れる餌を捕まえることになる。

「これが餌だよ!」
Y君が捕まえてきたのは、なんとオカヤドカリであった。
現在は天然記念物になっている、アレである。

Y君は、それから2つの竿に糸と針を結び、噛みつぶしのオモリをつけ。
ひとつを私に手渡してくれた。

今考えると本当に笑えるほど簡単な仕掛けだが、
初めての私にとってそれは、まぶしいほどの物で
震える手で受け取った。

そして早速、釣りが始まった。
 海に行くようになったのがいつの頃からだったのか
残念なことに記憶にはない。
しかし小学校の3年生の頃には、休みの日は毎日のように海に出かけ
泳いだり、貝を探したり、魚釣りをしたりして遊んでいた。

その頃の沖永良部島の海はとても豊かだった。
干潮時にはさんご礁が顔を出し、サンゴをバリバリ割りながら歩いた。
いまでは環境破壊だと叱られそうだが、そこらじゅうサンゴだらけだから
珊瑚を踏まないと前へ進むことができないのだ。
それでも数週間後にはサンゴは見事に復活していた。

そこにはウニもいたるところに散らばっており
ウニもぐちゃぐちゃつぶしながら歩いた。
ウニもいたるところにいるので、どうしても踏んでしまう。

時々おなかがすくと、いつでもウニを割って指ですくって食べた。
たくさん割って食べきれない時に 少し深いところに投げると
色とりどりのベラなどの熱帯魚が集まり、大きな塊ができた。

少し沖に行くと、ホンダワラ類の海草が一面を埋め尽くしていた。
地面がよく見えないので、海草の上を適当に歩いていると
とつぜん落とし穴に落ち、腰あたりまで海水に浸かったりした。

サンゴの割れ目を、完全に海草が埋め尽くしていたため
割れ目に気付かないで、その上に乗ってしまったためだ。
腰までだったからよかったものの、自分の身長以上だったらと
今考えると本当にぞっとする。

台風が来ると海岸一面に海草が打ち寄せる。
島の主婦たちはその海草を集め佃煮を作り
子供たちは海面に浮かぶ海草をかごなどですくった

すくった海草を少しずつ取り除くと
そこにはさまざまな魚たちの稚魚がいた。
それをまとめてバケツにいれ簡単な水族館を作った。

海は大人たちには生活の場であり
子供たちには、遊びの場であるとともに学びの場であった。
夏には毎日(島全体で)何百人もの子供たちが海で泳ぎ
浜には集落の大人たちが、奉仕で毎日交代で監視に立った。

その頃たくさんの子供たちが泳いでいたわりに
溺れたという話を聞いたことがなかった。
子供たちは泳ぎが上手かったし、危険なところもよく知っていた。

いつの頃からかそういった習慣もなくなり
親と一緒にしか海に行かないようになった。
この10年で何回かの悲しい事故もあり、
最近は海で泳ぐ子供を見かけることは、本当に少なくなった。

親自身、海をよく知らないのだから
子供と一緒に海に行くことが少なくなるのも
仕方のないことなのかもしれない。

今でも時々潮干狩りに行く。
貝は本当に少なくなったが、それ以上に人がいなくなった。
生活の場であった海がだんだん遠ざかっていく。

「海は変わったね」以前よく聞いた言葉が
最近はあまり聞かれなくなくなり
いつの日かあの豊かな海の記憶は、島民の心の中から消えてしまうのだろうか?