多様性という言葉を良く聞くのですが、
この言葉を都合よく使う人が多いなと気づきました。
多様性を認めるべき
と私の前で発言した人が何人かいるのですが、
この前のDV旦那→暴力だって自分なりの愛情表現
不倫して訴えられた奥さん→恋愛の形は人それぞれで、他人に制限されるべきものではない
いじめ主犯の親→人によって嫌悪感を抱く対象も
その表現も様々であって良いはず
なのだそう。
いや、全部犯罪だし、
それを言うなら
なら加害者を許せない被害者が
加害者を殺すのも納得してくれるのか
って話になっちゃいます。
全員
それとこれとは話が違う
と言っていましたが。
この
多様性
と
ただのわがまま
の区別がつかないまま
のうのうと生きてきてしまった人間が、
わけのわからない犯罪を
犯罪として認識すらできずに犯しているような
気がしてなりません。
これは、教育が行き届いていない
発展途上国におきる現象なのですが、
これが今の日本のありさまなのだと思います。
せめて自分が生きる国の基礎的な法律くらいは
知っておかないと。
学校でもある程度は学ぶはずなのに、
平気で
覚えていない
と言う人も多い気がします。
本来履歴書に学歴を書くのは
どの程度の能力が保証されるのか
を示すためであり、
例えば大学卒と履歴書に書いておきながら
割り算ができなければ
経歴詐称を疑われても仕方がないわけです。
こんな無秩序、無責任の言い訳にされるなら
多様性なんて認めなくても良いのではと
思ったりもします。
真にこの
多様性
と言う言葉の対象になるはずの人たちは
意外とこの言葉を頼りにしていなかったりもします。
それどころか、私の周りの人々は
迷惑がっていたりもします。
多様性を逃げ道にするような性根で
少数派で生きてはいけないから、
別に必要ないのだそう。
自分に責任を持つ
という、最低限の気概があれば
多様性について騒ぐ必要はないのかもしれないなと、
少数派の先輩方を見ていると感じます。
もう人生の折り返しなので
しっかり地に足をつけて
考えたいです。