あるいは「めんどくさい」という投げやりな感じ
ときには「死にたい」という究極に後ろ向きでネガティブな気持ちも出てくる
そんな負のゾーンに飲まれているときは気づけないけれど、そうではない正常な状態の時に改めてあのような気持ちになることを考察してみると、やっぱりアレはどう考えてもオカシイ
だってどう考えても必要ないものだから
別に周りの環境が言うほど辛いわけではない
たしかにうまくいかない事も多いし、分からないこともたくさんある
でも、かと言ってあそこまで深刻に落ち込む必要はないはず
同じような状況や問題を抱えていても、あんな風に泥沼にハマる必要のない人だっているし、俺も時には楽観的になれることもあるのも事実
ではなぜ、頻繁にあのような気分になるのか
恐らく、あれは自分の意思であのような気分になっているのだと思う
一見すると、不可抗力でどうしようもない現象に思えるけれど、実は自分で意図的に落ち込んでいる
つまり、落ち込んでいるフリをしている
落ち込みたくて落ち込んでいる
だってそうでないと辻褄が合わない
あんな風になる必要なんてある訳がないのに、とある誤解から自分であのような選択をしてしまっている
ではなぜ、あんな風に自ら落ち込む必要があるのか
これはもう何度かこのブログでも書いているけれど、
その根っこにあるのは「変化への恐れ」
つまり、自分は無力な存在である方が都合が良い
自分の殻にこもり安全を維持するために、自分に嘘をついてまで落ち込むことを選択している
被害者を気取り、受け身を決め込むことで、自分の意思で選択して世界を開いていくことから逃げている
「圧倒的なパワーをもつ世界に翻弄される非力な自分」という設定にすることで、安全を確保している
「自分は無力で無価値で無能だ」
「世界を変える力はない」
圧倒的な優勢を誇る世界に対して、その激流の中で悶えることしかできないちっぽけな存在であることにしておいた方がラクだから、あんな風に落ち込む
「あれもできないし、これもダメだし」と無力を納得するための理由を探しているカンジ
だって、ふつうに考えて自分に対してそんなマイナスのセルフイメージを持ったって良い事がない事ぐらいすぐに分かる
それなのになぜ、自分を否定し、自己嫌悪に陥る道を選ぶのか
それはやはり、責任逃れしたいから
それと同時に変化が怖いから
そして、それを助長する要素として、「自分は無力だ」という思い込みがあることも大きい
本当は世界を意図するがままに創造する力があるのに、それを忘れたフリをしている
その方が安全だから
でも、安全であるのと同時に、それはつまらないし不自由な選択
いつも、どこかで「なにかおかしい」「何かが違っている」という腑に落ちない感覚があるのも、それが理由
本当は無力ではないし、それが故にあんな風に何かにつけて落ち込んだり、死にたくなったり、やげやりに自暴自棄になる必要もない
というか、ハッキリ言えば、あんな風に憂鬱になるメリットなんて、マジでない!
もったいなさすぎる!
楽しめばいいのに!
仮にはしゃぐように楽しめなくても、穏やかに良い気分で朗らかにしてればいいのに!
あんな風に自分に嘘ついて人生つまらなくしてるなんて、マジでもったいない!
と今スゲー思う
これから憂鬱になることに、常に敏感に神経尖らせていたい
アレは自分で意図してやってることを忘れない
まるで被害者気分になるけれど、自作自演であることを忘れない
つまり、自分に無力感を与えることができるのは、自分しかいないことを忘れたくない
自分は無力で無価値であると決めつけるのは、他ならぬ自分であることを常に覚えておく
何度も言うけれど、憂鬱になる必要なんてマジで一ミリもない
憂鬱になることは安全安心に生きるためにはメリットだけれど、自分らしく人生を謳歌する上ではデメリットでしかないから
自己否定という無力感や脱力感は全部自分を守るために繕ったニセモノ
そして、実はそもそもの問題として、
本当は自分を守る必要すらない
自分を守ることが安心ではなく、
そもそも守る必要なんてなかったと気づくことが安心だから
大丈夫
安心して、羽を伸ばして生きていい
しがみついている岩から手を離せば、川の流れが導いてくれる
憂鬱も、無力感も、死にたい気持ちも、自己否定も必要ない
そう、そんなの「必要ない」
それらを維持する理由がなくなれば、本当に「必要なくなる」
そして、その理由なんて全部捏造なんだ
幻想であり、思い込み
それさえ分かれば、マジでそれらと決別できる
憂鬱で被害者気取って、死にたいとかほざいちゃうような無力感に苛まれるメランコリック中二病なガキンチョとは、いい加減オサラバしよう