周りから嫌われないことを中心に据えた価値観
否定されることは全ての終わりとでも言うかのように
だから、やりたいことがあっても、他人から否定されてしまいそうなことはしなかったし、
目の前の人と対立する恐れがあるときは偽の自分を演じていた
もしくは、「遠慮」と「謙遜」を使って自分を引っ込めることで周囲との衝突を避けていた
それが当たり前になっていた
全ての行動指針の中心になっていた
最優先事項は「周りに嫌われないこと」
そこスタートでのものの考えかた
楽しいからどうか
気持ちいいかどうか
やりたいかどうかは
常に「嫌われない」ということの陰に隠れてしまっていた
「やりたくても嫌われるならやらない」
「楽しくても否定されるならしない」
「本当のことを言っては嫌われるから、嘘をつく」
おそらく最初にその価値観が根付いた瞬間は中学時代のサッカー部
サッカー部に馴染むために自分を曲げた瞬間が確かにある
インリンのギャグをやったとき
いじめを注意できなかったとき
その瞬間にした行動が、「周りから拒絶されて孤立しては大変なことになる」という思い込みを受け入れた瞬間であり、その幻想を支持したとき
そしてそのような価値観で生きることが当たり前になっていった
特に日本は、没個性・出る杭は打たれる性・違いは間違い性が強いからその社会的な影響も、「周りに合わせなければ生きていけない」という価値観の形成を手助けした
そして、それが定着しすぎてて、その価値観に気づくことはおろか、疑うことすらしなくなっていった
そしていま
自分の意見が言えなくなり、うまく人とコミュニケーションがとれないとこまで陥った
仕事をするにしても、業務遂行の一番の目的は「周りに評価されること」あるいは、「少なくとも仕事できないやつと思われないこと」になっている
だから、いつもミスしないかビクビクしてる
メール一本の送信も
ミーティングでの発言一言でも
単純なパソコン入力ひとつとっても
なんなら休憩時間の過ごし方ですら、「周りから嫌われたくない」という恐怖が原動力
その一方で褒められたりする妄想もちゃっかりしているあたりが可愛らしいけど笑
「嫌われず否定されないことが最優先」
そんな価値観を知らぬ間に抱えていて、それが不自由さを生んでいた
その価値観に縛られていない人を見れば、「なんだアイツは」と否定するか、「俺にはあんな風に振る舞えない」と自己否定に陥るかのどちらか
極端に言えば、「周りに嫌われても気にしない」なんて価値観を持たずに生きてる人がいるなんて信じられなかった
その価値観は自分にとってあまりにも当然すぎたから、周りもそんな価値観で生きてると勘違いしていた
「周りに嫌われたくない」
そんな価値観持たない人もいるということ
いまの自分には信じられないけれど、「周囲から孤立するかどうかは関係ない」という価値観を持つ人がいる
それは強がりでも自分に嘘をついているわけでも、ましてやヘソを曲げているわけでもなく、純粋に「他人に嫌われることは全く気にならない」という人がいるという事実
そして、それでいてちゃんと思いやりや優しさも持てる人
ただ孤立するのではなく、余裕がある感じの振る舞い
そして、俺も徐々にそうなれつつある
「周りに否定されては大変なことになる」という幻想から逃れつつある
少なくとも、そこに一番重きを置くことはなくなりつつある
そして、そこに費やしているエネルギーを他に注ぐということ