「気を使うこと」も「愛想よくすること」も自分の選択 | uminami-snusのブログ

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ある日自分の中でスッと納得できたことを鮮度のある内に残したい。個人的な備忘録であり、アタマの中を整理するためのもの。

「気を使うこと」
「愛想よく振る舞うこと」

仕事であれ、プライベートであれ

それは誰のためか?

自分のためか、相手のためか

自分のためであれば、それは欠乏欲求

相手のためであれば、それは充足

「相手に好かれるため」であれば、被害者意識からくる行為

それは他人への義務感と怒りを生む

「なんでアイツはあんなに態度が悪いんだ」
「なんでアイツは自分勝手なんだ」

相手責めが始まる

そして、それは場合によっては自分責めにも繋がる

「なんで自分はこんなに心が狭いんだ」

「自分はなんて自己中なんだ」

「気が使えなければ大変なことになってしまう」

でも、それが相手のためであれば、そこにネガティヴな感情は生まれない

「自分がそうしたいからする」という選択

「自己責任」という名の自由

「自分で選んでいる」ということへの理解

そうすれば、誰も責めなくて済む

誰かの態度が悪くても、誰かが自分勝手に振舞っていても、関係ないし気にならない

愛想よく振る舞いたくないなら、振舞わなければいい

その代わり、そこから生まれる結果は全て自分ごととして捉える

ただそれだけ

「愛想よく振る舞うこと」も「気を使うこと」も自分の選択であり、それを選ぶのは自分の意思で選んでいるという意味で自由な選択

あらゆる選択肢の中から自分で選んだということを府に落とせば、誰も責めなくていいし、色々なことが気にならなくなる

大きな器でいられる