「無銭飲食オッケー」という飲食店のハナシ | uminami-snusのブログ

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ある日自分の中でスッと納得できたことを鮮度のある内に残したい。個人的な備忘録であり、アタマの中を整理するためのもの。

とある社会実験のハナシ

例えば飲食店で

お客さんは料理や接客や内装などすべて含めそこのサービスが気に入らなければ、お金は払わなくていいという法律をつくったら面白いのではないだろうか

あるいは、もし全額払わなくて良いというがシビアなら、一応は料金は設定するけれど、実際にいくら支払うかはお客さんが決めていいというルールでも良いとおもう

「これで1,500円は高いから、900円なら払う」というのがオッケー

むしろ、「これで500円は安すぎでしょ!900円払うよ!」とかもアリ

いずれにしろ、これは、店側が経営が成り立たなくなることを恐れを抱き、恐怖にかられた行動をしてしまうという懸念はあるけれど、よりお客さんが望むものを考えるキッカケになるだろうし、それに、そもそもの話としてこれはどちらかというとお客側の問題意識についての話

店の良し悪しうんぬんではなく、お客としてお金を払うという行為に対しての問いかけ意識が根底にある

つまりどういう事かというと、「どのような時にお客はお金を払いたいと思うのか」ということ

ひいては、「なぜお金を払うのか」ということ

おそらく、もしこのような法律があったら、お客さんは自分の好きな店にはちゃんとお金を払う

というか、今よりもっと喜んで払うとおもう

何故なら払わなければお店は潰れてしまうから

それは投票のような感覚で

「自分が好きな店を維持するために、ちゃんとお代を払う」という意識になる

あるいは、「応援」という感覚とも言えるかもしれない

「このお店が今後も継続してほしいから、お金を払うことで応援したい」という気持ちでお金を使える

「お金を払わされている」というパラダイムから、
「自分の意思でお金を払っている」
「お金を通してこの店に感謝の意を示し、応援している」
というパラダイムへのシフト

これはつまり、
「お金に使わされている」というパラダイムから、「お金を使っている」というパラダイムへのシフト

別の言い方で言えば、
「お金の奴隷」ではなく、「お金の親友」になるということ

お金のために生きるのではなく、お金を自分の人生を豊かにするためにひとつのツールとして使えるようになる

お金という発明を利用して、自分の好きなお店と関係性をもてるということ

これは「お金とは何か」を再発見する機会でもあるし、大袈裟に言えば「自分とは何なのか」という探求にもつながる一手だと思う

ちなみにこれは店側にも同様の探求の可能性もあって、このような形で営業するとしたら、店側も「お客さんは何を望んでいるのか」を考えると思う

場合によっては、本心から「お客さんを満足させたい」と思えるようになるかもしれない

お客さんが満足しているかどうかダイレクトに数字として現れる訳だし

そして、それらの問いを通して、更に探求を進めれば、
「自分はお客さんに何を提供したいのだろう」
「自分は何者で、何をしたいのだろう」という探求をはじめる可能性さえあると思う

これは飲食店に限らずあらゆる小売業、サービス業で可能な発想だし、おそらくお金のやりとりが発生する全てのコンテンツにおいてやってみる価値があると思う

いずれにしろ、法律として施行しなくても、もし将来自分の飲食店を持ったとしたらそんな形でやってみたいと思う

俺がお金を払うことで応援したいと思える、とびきりいい食材を使って

なんなら感謝や応援の声しるしは必ずしもお金ではなくてもいいかもしれない

何かを別の人ものをあげたり、人との出逢いや新しい機会でもいいと思う

もし、そのような形で経営が成り立てばものすごく面白い事例になると思う

そしてもし、そのようなスタイルが広がって、そんな形でのお金のやりとりが当たり前になったら世界を変えたことになる

将来自分の子供に対して、「昔は指定された代金を払わなきゃいけなくて、みんなお金を使うことに抵抗を感じ、罪悪感や欠乏感を抱いていたんだよ」なんてこと笑いながら話ができたら素敵だなと思う