「畑内での循環」と「地産地消」におけるスケール感 | uminami-snusのブログ

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ある日自分の中でスッと納得できたことを鮮度のある内に残したい。個人的な備忘録であり、アタマの中を整理するためのもの。

自然農の考え方

「わたしの畑内で循環を成立させる」
「外からのものは土であれ肥料であれ資材であれ種であれ持ち込まない」

その畑の中で完結する循環に重きをおく

それは一見とても素晴らしいことに思える

エコな感じがするし正しいことのように思える

でも、少し不自由で窮屈な感じはしないだろうか

捉えている世界観とその範囲を広げたらどうなのだろうか

つまり、「わたしの畑」というスケールではなく、「地球」というスケールで見たらどうなるのだろう

「わたしの畑」に降る雨は、川や海や空を経て降り注ぐ

「わたしの畑」に降り注ぐ太陽は、平等に世界を照らしエネルギーを与えてくれる

「わたしの畑」吹く風は、世界中を旅したのちにたどり着く

そう考えると「わたしの畑」という世界観は、どうもしっくりこない

同じように、スケール感を変えると捉え方が変わる言葉がある

それは「地産地消」

その土地でとれたものをその土地で消費すること

その範囲はどこまで?

自家用の家庭菜園のことか

町や村という単位か

もしくは、ある特定の地域か

あるいは都道府県か

自給率という点で言えば、国という枠組みでの話にもなる

でも、そんな風に少しずつ範囲を広げていくと最後にたどり着くのは、「地球」というスケール

「地球」という惑星内での「地産地消」

そのような視点で見れば、この星で起こるすべては「地産地消」

バッキーの言う「宇宙船地球号」という捉え方

そして、もし仮に宇宙に出たとしても、「宇宙」という範囲で見れば、それも「地産地消」

では、「わたし」の範囲はどこからどこまでなのだろうか