マッキーや黒斉さんやみつろうさんへの執着について
彼らのメッセージは確かにとても素敵だけれど、それらに固執し過ぎるのはよろしくない
シフトの第1話でマッキーが「ゴールや目的は手段としてのツールであり、付箋のように上手に利用することが大切であって、それに固執し過ぎると視野が狭くなる」的なこと言ってたけれど、俺の場合はこのゴールに当たるのが「悟り」や「マッキー」になっていたのかもしれない
つまり、彼らをゴールと設定し彼らの真似をしようとすることで不自由になっていたということ
特にどの本を読むかにおいてはあまりにも彼らの真似をしようとするあまり、不自由になっていた
彼らの考えた方を理解できるような本を選び、彼らの考え方と似ている部分にだけ目を向け、彼らのメッセージに沿うような解釈をしていた
もちろん、その中に純粋な好奇心や楽しみはあったけれど、「彼らになる」というゴールに固執するあまりとても不自由な読書の仕方になっていたように思う
あるいは、人付き合いもこれと同様
マッキーたちに惹かれるあまり、いわゆるメッセンジャーやコンサルタント的な立場に憧れていた
自分も彼らのように振舞いたいと知らぬ間に思うようになった
それによって友達と喋るときも妙な態度になっていた
マッキーたちのメッセージに関する話題を提供しようとしたり、それ以外の俗世的な話とは距離を置いたり
変に「教えてあげよう」みたいな感覚で話をするから、話が伝わらなかったり相手の反応がイマイチだったりすると不満を抱いたり
そもそも目の前の人を「マッキーたちとは違う部類の一般人」みたいな感じで見下してたりした
そんなのはナンセンス
マッキーたちになることに固執するあまり、歪んだ価値観に囚われているだけ
少なくとも「人生を謳歌する」とは到底言えない振る舞いだし、「マッキーたちのようになることで人生を謳歌しよう」としたが故に生じたイタい奴
「人生を謳歌する」
そのヒントとしてマッキーたちのメッセージに惹かれるのはアリだけど、「彼らのようになる」ことを目指すのは違う
「彼らのようになった暁に人生を謳歌できる」という誤った思い込みがある
彼らにとっての「謳歌」と、俺にとっての「謳歌」は違う
彼らになろうとする必要はない