「何が正しいか知らない
何が楽しいか知ってる」
アタマは常にハートの逆をゆく
ハートが「イエス」といえばアタマは「ノー」といい、ハートが「ノー」といえばアタマは「イエス」という
それは「相補対待」という関係上、当然のこと
ハートと反対の立場をとるのがアタマの役目
ハートとアタマはコインの裏表の関係でありお互いなくてはならない関係
アタマは悪者にされがちだけれど、アタマがあるからハートが存在でき、アタマがなくなればハートもなくなる
そのような意味ではハートとアタマは切っても切れない関係であり、「生」と「死」、あるいは「上」と「下」という関係と同じと言える
そして、ハートと逆のことをアタマが囁くことで「思考」が始まる
「思考」はアタマのホームであり得意分野なので、一度「思考」が始まればもうアタマの独壇場
そこにハートの入り込む余地はない
「これはハートの声?それともアタマ?」なんてことでさえ起こるのだから笑
つまり、ハートで生きるとは瞬間瞬間で生きるということ
アタマで考えたしたらもうオシマイ
「どっちがハートなの?」という問いがすでに思考だから
「正しいか正しくないか」はアタマが考えること
「楽しいか楽しくないか」はハートが感じること
アタマは時間の許す限り考え悩むのが目的だから、「どれが正しいか」を永遠に悩み続ける
ハートは「楽しい」ということを「いま」感じている
「何が楽しいか知っている」のはハート
「私は何が楽しいのだろう?」「私は何がやりたいのだろう?」なんてことアタマには永遠に分からない
アタマは「あれかな?これかな?」って悩み続けるだけで、考えた末に「これが楽しいんだ!」なんて結論に辿り着くことはない
たとえ考えた末に「これだ!」と辿り着いたとしても、ハートはそれを見抜きすぐに抵抗する
「楽しいこと」を知っているのはハートだけ
アタマには一生「楽しいこと」なんて分からない