「考えずに行動する」、あるいは「悩まずに決断する」ということを徹底的に試してみる
残りの人生をかけてこのような生き方がどこにつながるのか実験してみたい
僕らはすぐにアタマで考える癖がある
「もっといい方法があるのではないか」
「こんなことしたらこの先損をするのではないか」
「この選択で本当正しいのだろうか」
何かをやろうとしても、まず下調べをし入念に計画して、あらゆることを想定し準備しなければ行動に移せない
損をしたくないし、失敗が怖いから
社会ではそのような生き方が賢いと思われているし、僕らも幼い頃から親や学校から「考えてから行動しなければいけない」という教育を受けている
「後先考えずに行動するなんてダメ!」って感じで
そして実際、衝動的に行動をした結果痛い目をみる経験を誰しもがしている
でも、これからの生き方で大切なのは、「考えること」より「感じること」なのではないだろうか
アタマではなくハートに重きをおく方が人生はスムーズに展開するのではないだろうか
事実、西洋的な合理主義のもと人生を生きてきた僕らは現在幸せとは言い難い
個人的な人生を振り返っても、今までアタマで考えて考え抜いてから行動してきたけれど、どこか居心地が悪かったりうまくいかないことばかりだった
でも、いま俺は、失うものは何もない
このような生き方をして直接的に迷惑をかけてしまう人もいない
かつ、やりたいこともやるべき事なくてどこか悶々とした日々を送っている
この生活に不満や不安なほとんど無いけれど、やはり一本筋が入らない感じはある
つまり、「後先考えずに、フィーリングを信じてすぐに決断し実行する」ということを実践するいい機会な気がする
今日起きたシンクロニシティを通して、全ては繋がっていて完璧な流れのもとストーリーが展開されているということを深く実感し信頼できるようにもなってきた
もちろん、このようや生き方をするにはとても勇気がいる
将来に対する恐怖が思考を占領し、ハートで生きることを遮ろうとする
ましてや俺は人一倍考えなければ行動できないタイプで、誰よりも慎重で臆病だという自覚がある笑
石橋が安全か確認するために何度も何度も叩かないと安心できないし、しまいには叩きすぎて石橋を壊してしまうような性格
あるいは、石橋を渡るか否か迷っている間にいつの間にか石橋が壊れてなくなっていたなんてこともしばしば
でも、いまは少しずつ「全ては完璧」「起こる全てはきっといいコト」ということが腑に落ちてきているし、「人生の流れを信頼する」ということも納得しつつある
きっとこのような生き方をやりだしたとしても、初めは葛藤ばかり
今日だって、すぱじろうでパスタを食べるか否かということですら散々悩んだ末でないと決断できないレベル笑
すぱじろうでカルボナーラ食べたいなと思った後には
「お金がもったいないんじゃないか?」
「家でご飯食べるって言っちゃったし」
「昨日今日と玄米食べてないし」
「いや、ここはフィーリングを信じて食べちゃった方がいいんじゃないか?」
「そもそもどっからハートの言葉でどっからがアタマの思考なんだ?」
結局ハートを信じるか信じないかをアタマで考えている(爆)
これから先も同じように悩んで悩んでの日々との戦いになると思う
ハートに従った結果痛い目をみることもあるに違いない
錬金術師のスカイも「アタマからハートへの旅が一番長い道のり」と言っている通り、その道程は想像以上に苦痛を伴うものかもしれない
でも、そんな経験も通して、最終的には「ハートを信頼していいんだ」という結論に行き着くと思う
映画「イエスマン」ではないけれど、アタマで考えずに即決することで、最初は嫌な思いをしたり後悔したりすることが多いと思うけれど、その中で光る何かがきっとある
そして最終的には、「イエス」という言葉に力があるのではなくて、「ものの見方・考え方」を変えることが大切であり、「ハートに重きを置けば素敵な人生が待っている」と心底納得できればきっとスムーズに人生が展開される
「思考が現実化する」ということを身をもって体験するいい機会
「ハートを信じた結果、ご飯が食べれなくなってもいい」
「フィーリングを頼りしたことにより、誰かと衝突したり孤独になってもいい」
そのくらいの気持ちで臨む
残りの人生があと何年なのか分からないけれど、その全てをかけて「実験」してみたいし、その価値があると思う
そのような生き方は恐怖に従うのではなく、喜びに従うということ
そして、「いつかどこか」ではなく、「いまここ」を生きるということ
「ハートを信じてアタマで考えずに行動するかしないかどうしようか」
こんな記事を書いている最中にすでに悩んだアタマで考えてる笑
決めた!やる!
「ハートを信じて、後先考えずに思いついたことを一切悩むことなくすぐやる」
もう決めた!いま決めた!それ以上考えない!以上!