舟として「自然」な生き方 | uminami-snusのブログ

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ある日自分の中でスッと納得できたことを鮮度のある内に残したい。個人的な備忘録であり、アタマの中を整理するためのもの。

ブラジルの小説家パウリ・コエーリョの言葉

「舟は港にいるとき最も安全であるが、それは舟がつくられた目的ではない」

港にいるか否かのどちらかが良い悪いという話ではないけれど、舟を出すか出さないかは自分で決められる

港にいてもいなくてもいつか老朽化し壊れるのであれば、僕は港以外の世界を見てみたい

港を出ることは安全ではないと考える僕らは、舟を出すには少し勇気がいる

もしやりたいことがあるのに、それができない理由が「危険だから」「怖いから」だとしたら、なんのために生まれてきたのだろう

パウロ・コエーリョのこの言葉にはとても深い意味があると思う

そして、個人的には人生を舟を出すということに例えたこの言葉には続きがある

舟を出すことと港にいることのどちらが「自然」な姿なのだろうか

舟が港にいるためには、碇なりロープなりで人為的に固定する必要がある

放っておいたら舟は波に揺られて海へと漂ってしまうから

つまり、沖に出ない舟は港という安全な環境にしがみ付いていると言える

港にい続けるためには何かしらの我慢が必要であり、意図的に努力し続けなければいけない

いくら港が安全と言っても、時には荒波がくることもある
強風にさらされることもある

そんなときはいつも以上にしっかりと握りしめる必要がある

そうではなくても、一度手を離してしまえば波に攫われて沖へと流されていく

人はそれが怖いから、いつ何時でも片時も休まずに手綱を握りしめる必要がある
重たい碇を持ち続ける必要がある

その一方で、実は、舟を出すために必要なことなんて何もない

ただ、港にそのしがみ付いている手を離せば良いだけ

そして、握りしめているロールを、重たい碇を手放せばすごく楽であるということも事実

港にいることために踏ん張るのか、それをやめてただただ海を漂うのか

はたしてどちらが「自然」な姿なのだろうか

更にこの話には続きがあって

手綱と碇を手放して海に出て行ったとしても、その後の展開には2種類ある

ひとつは、オールを使って自分の手で前進むというもの

目的地を決め、そこを目指して汗水垂らし必死に漕ぎ続ける

逆風や荒波があろうとも、それに打ち克ち前へ前へと一心不乱に進むというスタイル

もう一つのやり方は、「何もしない」というもの

オールを漕ぐこともしなければ、ただただ波に身を任せる

目的地も決めずに海を漂う

リラックスしてのんびりと、風を感じ波を感じ景色を楽しむ

荒波が来きても、突風が吹いても、抵抗せずにただ委ねる

途中、遠くに島が見えばオールを漕いでそこに向かうこともあるかもしれないけれど、その島に辿り着くことそのものには執着はないので気が乗らなければやめるし、そのときにはまた海にいることを感じる

港を出るか否かと同様に、どちらのスタイルが良いか悪いかという話ではない

自分の好きなようにすればいいし、場合に応じて両方を使い分けることもアリ

でも、恐らくほとんどの人が目的地を決めオールを漕ぐという選択をすると思う

なぜなら、港を出るときと同様に流れに身を任せることには勇気がいるから

「何もしない」ということに対して僕らは根本的な不安を感じるから

波の流れに身を任せるためには、自己信頼が必要なのだと思う

「何が起こっても大丈夫」という信頼

それは「流れに身を任せれば良いことしか起こらない」という類のものではなく、「流れに身を任せた結果悪いことが起こるかもしれないけれど、それも含めて大丈夫」という信頼のしかた

たぶん人間以外の動植物は後者なのだと思う

舟として自然な生き方は、果たしてどちらだろうか?