あの素晴らしい愛をもう一度〜「死」に対する正しい理解〜 | uminami-snusのブログ

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ある日自分の中でスッと納得できたことを鮮度のある内に残したい。個人的な備忘録であり、アタマの中を整理するためのもの。

「あの素晴らしい愛をもう一度」という言葉について

僕らはもともと「愛」そのものだった

この「愛」とは、一般的な語感で使われる相対的で変わりゆく「愛情」という意味での「愛」ではなく、永遠不変で絶対的な意味での「愛」のこと

「愛情」と「愛」は形而レベルの違うものであり、本質的な意味での「愛」とはすなわち、「空」、「道」、「神」と言え、この世界のすべてである

私たちの本質である「愛」から分離することで「わたし」が生まれた

「わたし」の一生は、「わたし」が生まれて、その「わたし」という幻想が消え「愛」に戻るまでの過程に過ぎない

そのことに関心を抱いてる人たちの多くは、「愛」に戻ることをゴールとして探求を続けている

「至福」を求める人も「悟り」を求める人も「ノンデュアリティ」を求める人も同様であり、いずれも「愛」に還るために瞑想なりワークなりをしたり、講演会やリトリートやサットサンに足を運ぶ

彼らが求めているのは表面的には違って見えてもすべて同じもの

そして、そのようなある意味特殊な世界にのめり込まずにいわゆる俗世間において生きている人たちも、実は求めているものの本質は同じである

俗世間と言われる世界に生きる人々が求めるものは「幸せ」であり、その幸せの定義は人それぞれだとしても根底にある目的な同じ

「幸せ」を求めることも本質的には「愛」に還ることであり、つまり、前述したスピリチュアルや精神世界という側面から探求している人と変わりはない

この世で「わたし」という意識を持って生きている限り、彼らが追い求めるものはすべて「愛」に戻ること

「わたし」が生まれる前の絶対的な永遠不変の「愛」に還ることが「わたし」たちの生きる目的

つまり、「わたし」たちはもともと「愛」であったのであるからそこに還るということはもといたところに再度戻るということであり、これを理解すれば「あの素晴らしい愛をもう一度」という言葉は別の意味を持つようになる

そして実は、すべての人は「愛」に還ることが約束されている

どのような人生を歩もうともみんな必ず「愛」に還ることができる

なぜなら、「愛」に還るということは「わたし」の消滅であり、「わたし」の消滅は一人の例外もなく100%すべての人に訪れることだから

それはすなわち「死」

この世界で生きている限り死なない人はいないのだから、すべての人は遅かれ早かれ「愛」に戻ることができる

つまり、
「あの素晴らしい愛をもう一度」
というのは、「死」を迎えることを意味していて、ゆえに私たちは必ず「愛」に還る運命にある

どんな人生を歩もうとも、最終的には「死ぬこと」をもってして「愛」に還る

このことが納得できれば「死」は決して恐れるものではなく、言ってしまえば私たちは「死ぬために生きている」ということ

ただ、この表現だとだいぶ抵抗があるので、もう少し詳しく言えば、「生」と「死」の間の「経験」が主たる目的であり、その「経験」をするために「生」と「死」が存在している

「経験」が存在するためには、「生」と「死」の両方が必要であり、そう考えれば「死」は避けるべきものでなければ忌み嫌うものでもなく、むしろ感謝するべき存在である

なぜなら「死」がなければ僕らは人生を「経験」することができないから

「死」のおかけで真の目的である「経験」をすることができる

このことが腑に落ちて理解できれば、「死」は恐怖でなくなる

そして「死」が恐怖でなければ、人生におけるありとあらゆる恐怖から解放される

なぜなら、「死」とは僕らが抱えるすべての恐怖の根底にあるものだから

あらゆる恐怖が「死」に対する恐怖から生まれている

そして、「死」に対する正しい理解を得れば人生はもっと軽やかで楽しいものになる

なぜなら、怖いものは何もないのだから

「何があっても大丈夫」ということが本質的に理解できる

「何があっても大丈夫」だと理解できればかけがえのない「わたし」のポテンシャルを存分に発揮して、この世界を味わいつくしたくなる

「死」に対する正しい理解は、豊かで生き生きとした軽やかな自分らしい人生をもたらしてくれる