「欠乏」の読書から「充足」の読書へ | uminami-snusのブログ

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ある日自分の中でスッと納得できたことを鮮度のある内に残したい。個人的な備忘録であり、アタマの中を整理するためのもの。

いま、自分でもビックリするくらい本を読む気が全く起きない

目の前に買った本がたくさんあるのにも関わらずそれに手が伸びない

別にその本に興味がないからという訳ではなく、むしろ内容的にはとても魅力を感じているのに読もうという気が起きない

それはなぜか

たぶん、お腹いっぱいなんだと思う

つまり、「もう十分です」という「充足」の気分

同じような内容でもラジオやブログなんかならまだ聴いたり読む気になるけど、読書となると別

それはまるで、「お腹いっぱいだからご飯は食べれないけど、飲み物なら飲みたいかな」みたいな感じ

ともかく、少し前まであれだけ熱心に読書していたのに、いま現在急に「もう充分」って気持ちになっている

でもこれは、逆言えば今までの読書が「欠乏」からきていたということのような気がする

つまり、「もっともっと」となりふり構わず知識を漁っていたような読書ということ

「もっと幅広くたくさんの知識を」
「もっと有意義な教養を」
「もっと気づきを得られるメッセージを」
そんな感じで貪るように欲求という名の欠乏を埋めようとしていたように思う

知的好奇心を満たすために読書をしていたに過ぎないということ

だって例えば、いまワンピースの新刊が出たらそれは読めるもん笑

あれは知識を得られるものでもなければ気づきを得るために読んでいるものでもなく、ただ単におもしろいから読んでいるから

つまり、これまで読んできた易や哲学や精神世界の本は実は本当の意味では楽しんでいなかったのではないかという疑問が出てくる

もちろん、厳密に言えば楽しかったのは楽しかったのだけれど、いま思い返すとやっぱり今ひとつ集中しきれなかったし、「まだ読み終わらないのか」みたいなことを考えて終わりまであとどの位残ってるかを意識しながら読んでた気がする

とはいえ、そのような読書とワンピースとを比べるのも如何なものかと思うし、探求という意味での読書がどんな形であったとしても楽しかったのは事実なのでそれ自体を否定したり後悔したりするつもりもない

いずれにしろ、要はいまはお腹いっぱいなので読書ができないということ

またしばらくしたら探求という意味での読書は再開するだろうし、そのときにどのように読書するかはお任せだけれど、少なくともいまは「充足」という感覚があるので以前のように知的欲求を満たすことで欠乏を埋めようとする読書の仕方は変わってくるのではないかと思う

具体的言えば、今後はもっとゆっくり読むようになるだろうし、途中で飽きたらその時点で読書をやめるだろうし、「もう少しで終わる」とか「あとちょっと読めばキリがいいから頑張ろう」といったように我慢しながら読書することは減ってくるのではと思う

「欠乏」の読書から「充足」の読書へ