無為=信頼、作為=恐れ | uminami-snusのブログ

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ある日自分の中でスッと納得できたことを鮮度のある内に残したい。個人的な備忘録であり、アタマの中を整理するためのもの。

老子のいう「無為」が「余計なことをしない」ということなのだとしたら、いったいどこまでが無為でどこからが作為なのだろうか

そのひとつの基準となるものは、「恐れ」なのかもしれない

「恐れ」からくる行動はすべて「余計なこと」であり「作為」

先のことが心配になってアレコレするのは信頼していないから

「もし◯◯になったらどうしよう」と将来の不安にかられてすることは「無為」ではない

逆に言えば、「無為」とは「信頼すること」とも言える

人生の流れを信頼できていれば、余計なことはしないで済む

「喜び」からくる行動をし、あとは流れにゆだねるというスタンスが、「無為自然」

つまり、アタマ考え行動することが「作為」であり、ハートで進んでいくのが「無為」

恐れているのか、信頼しているのか

つまり、「無為自然」とは「流れを信頼しハートで生きること」

「流れを信頼する」とは、根拠のない自信を持ちリラックスすることであり、執着を手放しあるがままを受け入れ、「起こるすべてはきっとイイコト」という勇気をもつこと

「ハートで生きる」とは、内なる情熱と喜びとともに自分らしく振舞うということ

「無為自然」に生きていると、一部分だけ切り取ると一見損をしているように見えたりするけども、大きな意味では必ずうまくいく
そして、そのように生きている人は愛と感謝に溢れている

恐怖に従いアタマで思考して生きることは、「作為不自然」であり、実際そのように振る舞えば、結果的にうまくいかない