恐れからくる欲望
ニュージーに行った理由は欲望
ニュージーで1年間ウーフすることで理想像の自分になることで競争に勝とうとしていた
特別な自分になることで周りから認められようとしていた
それはマズローの欲求五段階説でいうところの承認欲求(尊敬欲求?)
そして、もうそのような形での努力はしない
「ない」という欠乏からくる火種をもとにした活動はしない
つまり、恐れに従う生き方はしたくない
俺は恐れによってニュージーに旅しに行ったから
でも、恐れによって動く一方で、「恐れ」によってできないこともある
本当はしたいのに「恐れ」によってできないもの
ハートから発せられるものを「恐れ」が邪魔をしている
おそらく自分でも気づかないうちにたくさんのハートの声を無視している
やりたいけど、怖いからできないこと
恐れが幅を利かせてしまったが故にもはや選択肢にすら上がってこないこともたくさんある
Oshoは言っていた
恐れに従うものは臆病者であり、恐れがある中でそれを横に置いて前に進むことが勇気であると
恐れに従ってしたくないのに何かをすることもそうだけど、恐れによってやりたいのにできなくなってしまうことも臆病なこと
恐れを火種に前に進むことはしない
そして、恐れを理由に立ち止まることもしない
ハートに従って生きるのはたぶん、とても勇気がいること
喜びを火種に生きようとすると、恐れが立ちはだかることがあるのだと思う
その恐れとどう向き合うか
恐れに従って動けなくなるのか、恐れを受け入れてハートとともに前に進むのか