マッキーのようになることは欲望?願望? | uminami-snusのブログ

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ある日自分の中でスッと納得できたことを鮮度のある内に残したい。個人的な備忘録であり、アタマの中を整理するためのもの。

いわゆるメッセンジャーになること
このような括りでいいのか分からないけれど、マッキーや黒斉さんや阿部さんのような存在になること
自分に訪れた気づきをシェアすることを仕事にしている人々(かつ、本人たちはそれを「仕事」とは認識していない)

彼らのようになりたいという思いがある
明確に「絶対メッセンジャーになるぞ!」ってものではないけれど、すごく魅力的な憧れの対象になっている
将来大勢の前で自分が講演会をしていたり、知人からの相談にマッキーや黒斉さんのように受け答えする妄想を結構な頻度でしているし笑

でも、これは、はたして願望なのだろうか

そこに内なる情熱を感じるか?
喜びの表現なのだろうか?
LTEか?
ひょっとしたら、それは願望ではなくてただの欲望ではないだろうか

現に、将来彼らのように振る舞う妄想をしているということは、妄想によって欠乏を埋めているということだと言えるし
つまり、想像の世界で相手を利用して優越感に浸っているワケで
かつ、そこには確実に競争意識がある

「本質に気づいている俺」
「世間いざこざを超越した俺」
「巷に溢れているその他大勢とは違う一部の特別な存在になれた俺」
「皆が知らない本当に大切なものを知っている俺」
「喜びとともに内なる情熱をもって生きている俺」
「無為自然な俺」
「自分に還った俺」

そんなエゴがあるのは確実
特別な存在になろうという欲望
つまり、いまのそのままの俺を受け入れられていないということか

気づきを得て周りの人々とは違った特別な存在になろうとしている
それを使って優越感に浸ろうとしている
探求を深めてより優れた人間になって競争に勝とうとしている
俗世間にどっぷり浸かっていて、仕事や家族の問題に一喜一憂し、物事の表面しか見ておらず、道や空なんかには到底辿り着かないように見える世間一般の人々を見下している
自分はその人たちより一歩進んでいるという自負がある
それは阿部さん的に言えば「精神の物質主義」
恐れと不安が根底にある競争意識
「奪い合い」で「あなたか私」の世界
他人よりもより本質的な気づきを得ることで周りよりも抜きに出た存在になりたいというエゴ

そう考えると、やはりマッキーたちのようなメッセージになりたいという思いは願望ではなく、欲望なのではないかと思う