意図的に作り出した気づきなんてなかった | uminami-snusのブログ

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ある日自分の中でスッと納得できたことを鮮度のある内に残したい。個人的な備忘録であり、アタマの中を整理するためのもの。

何かを意図的にする必要なんかない
作為的に何かを起こそうとする必要なんかない

だって必要なことは今まで勝手に起こってきたから
自分で意図して起こしたことなんて何もない

だってこうして記録している数々の気づきも、気づこうとして気付いたのではなかった
ある日なんの作為もなく、「あ、そういうことか!」って気付いただけのこと
「これについて考えることで、こんな気づきを得よう」として得た気づきなんてひとつたりともない
いつも気がつくと何となく考え事をしてて、その過程であるタイミングで何の前触れもなく「あ、そういうことか」ってフッと自然に気づきに至る
天からインスピレーションが降ってくるとも表現できるし、自分の内側からフッと湧き上がってきたとも表現できる
いずれにしろアタマで考えて意図して起こしたものではない
「あれはこういうことだったのか」と自然と腑に落ちる感覚
それは作為的に自分の意思で起こしたことはない
気づきが欲しいなって思っていたり、気づきがくるといいなって期待していたこともない

ちなみにそれは、気づきだけではなくそれに伴う日常生活での出来事にも同じことが言える
何かしらの気づきがあるとき、それに関連して、あるいはその気づきに至るための出来事が起こることがあるけれど、それも自分で意図した出来事ではない
人との出会いもそう
思いもしない出会いから気づきを得ることばかり
「こんな人とこんなタイミングで出会うことで気づきが起こるかな」なんて期待したりして起こった気づきなんて全くなかった

すべて偶然
人との出会い
その人とそのタイミングで出会ったこと
出来事との出会い
それは自分の感情の変化も含めて
嫌な気分になったり落ち込んで自暴自棄になることもあった
そんな感情と含めて自分で意図したことはない
それにも関わらず、それらは必要なタイミングで起こっていてそれが気づきをもたらしてくれる

「無為自然」
「川下り」
「Let it happen」
「自分を思い出す」
「内なる情熱」
「喜び」

全部意図的にできることではないということが今は何となく感覚的にわかるような気がする
今まで自分に訪れた気づきとそれに伴う出来事の中で、自ら意図したものはなにもなかったから
それらは勝手に自然に起こったものたち
気づきは起こるときに起こるだけ
「気づきを起こそう!」なんて鼻息荒くしなくてもいいのと同じように、「自分の内側と繋がろう!」とか「自分を思い出そう!」とか「喜びを探し出そう!」とかしなくて大丈夫
それらについてぼんやり考えるのはオッケーだけど、見つからないことについて苛立つ必要なんてない
なぜなら、それらに対する気づき・答えも起こるときに自然に起こるはずだから