暇なときにただボーッとするという強さ | uminami-snusのブログ

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ある日自分の中でスッと納得できたことを鮮度のある内に残したい。個人的な備忘録であり、アタマの中を整理するためのもの。

暇に対する価値観がここ最近変わってきている

以前は暇だと不安だった
退屈になるとイライラしていた
何もすることがない時間が生まれると損をしているような不安に襲われてれしまう
とにかく何でもいいから何かやることが欲しい
たとえそれが嫌いなことや興味のない事でも退屈するくらいならまだその方がマシとすら考えていた

ナチュ時代はそのピーク
とにかく何でもいいから忙しくしていたかった
忙しいこと日々を送ることで満足感を得ていた
多忙な毎日を送ることで初めて自分を認められるような気になっていた
「暇」=「悪いこと」という価値観が根強かった
あるいは、被害者意識で自分を犠牲にして働くことで欠乏を埋めていたとも言える

ナチュ退職後ある程度自由な時間が増えた時期も、ひたすらに暇から逃げていた
当時はこれほどそのことに対して客観的に把握はしていなかったけれど、今振り返るととにかく退屈から逃れることに必死だった

少しでも空き時間ができると落ち着かない
だから、本を読んだり、間食したり、ランニングしたりしてなんとか気を紛らわしていた
でも、そんな時って本を読むにしろフェイスブック見るにしろそれらは本当にその時したいことではないからなかなか集中できない
集中できないことは自覚しつつも、暇な時間と真正面から向き合うことは嫌なので、あらゆる手段を使って暇つぶしに躍起になっていた

ニュージーにきた直後もまだこの傾向は強かった
ジェイソンのところでは1日8時間みっちり働かないと満足できなかった
朝晩の英語の勉強も欠かさずにやることで欠乏を満たしてた
なにもせずにボーッとする時間といえば日中がっつり肉体労働してシャワーを浴びた直後の数十分間だけ
その時間だけは必要な休憩リラックスタイムとして自分に許していたけれど、それも他の時間がハードであることが絶対条件
必要悪みたいな感覚

ラルフとキャサリンのところも忙しさの程度は違えどそれぞれ何らかのカタチで暇を避けていた
仕事、英語の勉強、散歩、料理etc
少しでも空き時間ができると何も用事がないのに、なんとなくスマホに手が伸びていた
そう、まるで依存症のように笑
スマホの中に何か救いを求めるように笑
サファリ、フェイスブック、ライン、写真、Kindle、なんでもよかった
膨大な情報を保持していて、世界中と瞬時に繋がれるスマホは自分の欠乏を埋めてくれるような気がしていたのだと思う

そして今ジェーンのところに滞在している

はっきり言ってジェーンのところは仕事がない
時間を持て余している
基本1時以降はフリーは上に労働時間に指定されている午前中ですら暇な時間がめっちゃある

当然ここに来た当初はそのことにいちいちイライラしていた
暇すぎて嫌だった
退屈で死にそうだった
そのことでジェーンに八つ当たりして自分を保っていたのも事実

でも、最近はだいぶ時間への意識が変わりつつある

暇でも不安になりにくくなった
退屈してイライラしない
退屈になったとしてもそのことを味わっている感じ
少なくとも「退屈」=「ダメなこと」という価値観ではなくなっていて、その証拠に暇なことに対してイライラしない
そうなるとそもそも「退屈」という言葉すら当てはまらなくなる

そう、強いて言えば、それは
ただ「やることがない」だけ
それ以上でも以下でもない
やることがないから、やりたいことがないから何もやらない
ただそれだけ
そこに良い悪いという価値判断が挟まってこない
だから、ただボーッとしている

たぶんこんな事誰かに言えば、「もったいない!」と言われると思う
「そんなに時間が有り余ってるなら、英語の勉強なりなんなにしたらいいのに!」って
でも、英語の勉強も今は全くする気がない
それは無気力とは違う
妥協や弱さでもない
「やりたいと思わないからしない」というただそれだけ
そしてそこには「やらなければ!」という焦りや不安もない
また、そのことで損をしているという感覚もない
おそらくそんな状況周りにから見たら時間を無駄にしてると思われるのだろうが、それもどうでもいい
むしろ、そのボーッとする時間が今は大切た時間
そのボーッとしている時間は生産性もなければ創造性もないけれど、でも大事
西洋合理主義(?)から言えば無駄以外の何物でもないと思う
でも、損得とか効率とかそんなレベルの話ではない

前は「やることがない(暇)」=「悪いこと」という価値観だった
やることがないことが不安だったから、やりたくなくても何かやっていた

今は違う
やるべきことがないとき、やりたいこともないもきは、ただボーッとしていられる
そのことを「退屈」だとも思わないし、イライラもしない

これってすごい変化だと思う
暇と真正面から対峙するって、
ある意味本当の強さや勇気だと思う