自分のなかにある欠乏感
何かが欠けているという感覚
それを埋めるために妄想をする
現実には期待したことは起こらなくて、欠けている部分を埋められないから、妄想で凌いでいるのかもしれない
でも、その欠乏感はいくら妄想をしても一向に埋まることははない
一時は埋まるかもしれないけれど、またすぐに欠けてしまう
そしてまた欠けた部分を補うために妄想するというエンドレス
ちなみに、欠乏感を埋める手段は何も妄想だけではない
食欲、性欲なんか分かりやすい例
何となく欠乏感を感じるとそれを紛らわすために暴食したり、G行為をしたりする
その行為により一旦は満たされた気になれるけど、またすぐに欠乏を感じる
カナダに行ったり、ニュージーに行きたいと思うのも同じ
有意義な時間を過ごしたと思うことで欠乏を埋めようとしている
本を読んで知識をつけるのも同じ
他の人より賢くなることで自分を高めて満たされた気持ちに酔っている
誰かとご飯を食べるたり、誰かと会話するのも同じ
誰かと関係性を持てていること、あるいは誰かと接するなかで相手に自分を認めさせたり、人間的に優れていると感じることによって満足感を得ようとしている
買い物もそう
特に洋服なんかは
着るものがあるのに新しい服を毎年何着も買うのは理想の自分に近づきたいから
そうすることで欠乏を埋めようとしているにすぎない
もはや、やること成すこと全てが欠乏を埋めるためのものと言える
もちろん、欠乏感を埋めることは悪いことではないし人として当然のものだと思う
やえもすると欠乏感を満たすことを悪いことだと思ってしまう傾向がある
でも、例えばお腹が空いているときに、「どうせ何か食べて胃袋を満たしてもまた満足感が減るなら食べたくていいや」とはならないでしょ
というか、食べなかったら死んじゃうしね
欠乏感を満たそうとすることも同じ
欠乏感はあって然るべきもの
そしてそれを満たすことも大切
しかし、あまりにも度が流石に疲れる
大切なのは、欠けているということとバランスをつけること
欠乏感を完全に無くすことはできないけれど、もっと付き合いやすい対象にすることはできる
欠ける→埋める→また欠ける
という世界からある程度抜ける必要がある
バランスがとれれば、欠乏感も上手に使える
だって欠乏感があるから何かをしようと思える
それ自体はすごく大事だから
でも、このことに触れると余計に混乱してしまうのだけれど、
究極的な視点から結論から言えば、本来はもともと何も欠けていない
欠けているという思い込みに過ぎない
本来は何も欠けていないし、何かで埋める必要もないということを経験として理解することが大事
自分はもともと何も欠けていなかったと気づくことで、何かを成し遂げる必要はないと思えるし自分以外の誰かになろうとしなくてよくなる