慣行栽培があったからこそ自然栽培の良さが理解できる | uminami-snusのブログ

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ある日自分の中でスッと納得できたことを鮮度のある内に残したい。個人的な備忘録であり、アタマの中を整理するためのもの。

なぜ、慣行栽培が必要だったのか
それは、自然栽培の素晴らしさを認識するため

自然栽培しかなかったら自然栽培の良さは実感できなかったはず
相対性の世界において、自然栽培の魅力を知るには相反するものの存在が必要だったのだと思う

不幸があるから、幸せが実感できるように
病気になってはじめて、健康の大切さが分かるように
雨が降るから青空が綺麗だと思えるように
他人がいてはじめて自分というものを認識できるように


慣行栽培と比較するから自然栽培がより素晴らしいと思える
自然栽培に関するたいていの本には、同じ品種の野菜で自然栽培と有機栽培と慣行栽培の違いの写真なんか必ず使われているし

人々に自然栽培を理解させるために農薬や肥料を使う農業が必要だったんだ

そして、その根底にはやはり螺旋の構造があるように思う

この世の物事は螺旋でできているという話

四季なんかは一番分かりやすい例
春夏秋冬が1年を通してあり、冬が終わるとまた春がくる
平面的に見ればまた同じ春が来たように思えるけど、立体的に見れば同じ春ではない
その繰り返しの螺旋


数字も同じ
0,1,2,3,4,5,6,7,8,9,ときて、またゼロに戻るけど、そのときには10になっている
確かにゼロに戻ってはいるけど、一桁あがっている
立体的に見れば同じゼロではない
0~9を繰り返す螺旋

人のDNAなんかも螺旋構造だしね


この考えは日本の農法の歴史にも当てはまる

今でこそやれ有機野菜だオーガニックだ自然栽培だなどといわれているけど、昔はそれが当たり前だった
当たり前すぎて「有機」だ「自然栽培」何ていう名前すらなかった
当然、当時の人々はそれらの野菜が特別なものだなんて思っていなかっただろうし、ましてや今のように現代人がそのようなものを高い値段で買うものなんて信じられなかったはず

でも、そこに高度経済成長が来た
お金・効率・生産性の時代

そして、いままた、そのような価値観が変わりつつある
本来の姿を取り戻そうと

農薬や科学肥料が登場する前の時代の、何も手をかけない野菜を仮に、「前自然栽培」とすると、

前自然栽培→慣行栽培→有機栽培→自然栽培

という螺旋

作り方は慣行栽培以前のものも、自然栽培も同じだけれど、立体的に見ればそれらはやはり違うもの

一周してきたからこそ(一度そこを離れたからこそ)、価値がある
一周してきたからこそ、魅力が理解できる
一周してきたからこそ、良さがわかる

一周してきたからこそ、ありがたさが身にしみる


自然に感謝するために、この流れは必要だったんだ

「ありがとう」の反対は「当たり前」
自然栽培が「当たり前」だったころは感じることができなかった感謝をいまの時代の僕らは感じることができるんだ