シュレーディンガーの猫の話。
自分がいて初めて周りの世界ができる。
自分が認識するから対象物は存在できる。
「真実はなく、解釈があるだけ」という話も似ている。
ここまではよく言われていること。
今までもなんとなく納得していた。
でも、今日改めて思った。
自分がいることで相手が存在できるということは、
同様に、
自分が自分を認識して初めて自分が存在できる。
自分が「私」を認識して初めて「私」がいられる。
つまり、自分が「私」を感じなければ、「私」はいない。
確かに実感としてある「私」という感覚。
揺るぎない感覚。
今、こうしてブログを書いている間も無意識に感じている「私」という感覚。
疑うことなく、当たり前に存在している「私」。
この「私」はいつから?