ためらわないことさ~



なんちゃって(笑)




今朝ふいに、あーそうなんだなーと思いました。

海光さんからのお茶会その後メールで、りえすけさんからのお話会確認メールで、
昨日、Mちゃんからもらったメールで、

わー嬉しいな(*´ω`*)って言葉があって。



ゴミ捨てに行く道すがら、それを噛みしめていたら、



あー!私って愛されてるんだなー!
私って愛される人間なんだなー


って、おだやかーに、

ぷちぱっかーんしたのでした(*´з`)




でました、『どうせ、愛されてるし』が(笑)


こないだの桐生講演会のストラップが(笑)

(3種類のストラップのうち、これが手元に来たということは、この言葉が私のもとへ来るべくして来たということ)


もちろん母にたいしての、「あれって愛されてたのかも」的な効果も
じわじわきてはいるのですが。
(いやそもそも、まったく愛されていないとまでは最初から思ってないんだけど)



別に、お母さんじゃなくても、お父さんじゃなくても、旦那さんでもなくたって、


優しさとか、友愛とか、思いやりとかご縁とか、


それすらも愛なんだなーって思ったりしたのでした。



つきっきりで優しくしてもらうことが、一切『私』を否定しないでまるごと受け止めてくれることが、何も言わずとも100を察してよしよししてくれることが、『私』が勇気出さなくても全部先回りしてやってくれることが、『私』は一切なにもしなくていいことが、無条件に慈しんでもらうことが、

それだけが愛なんかじゃ、もちろん無くて。



ご縁によろこんでもらえたり、1度だけ会った時にした自分でも忘れてたような話を覚えていてくれてたり、髪型を誉めてくれたり、背中押して応援してもらったり、楽しみにしてもらえたり、名残惜しんでもらえたり、

自分から開いたときに、やさしさで返してもらえる、

そしてその優しさを、より分けたり、
自分の好みにあわせてジャッジせずに

ただ受け取ることが出来るということも、

(まず、自分から開く、っていうのが大事。ここ重要(笑))
(そして受け取らない、突っ返す、てことをするのはアウト(笑))


それも立派に愛なんだねー。






実は私、『どうせ、愛されるし』がよくわかってなかったのね、たぶん。

次のステージに行く自分への言葉、フォーカスする部分を変える為の前提の言葉、

気づかなかった愛情に気付けるようになる言葉。


でも、その対象はいつだって両親で旦那さんで、

時々、義両親だったり友達だったりに『愛される努力をやめようとする自分』に向けてのものだった。


『どうせ、愛されるし』は、自分を奮い立たせたり、
すっごく親しい人からの証拠を集める言葉だと思ってた。


でもそうじゃなかった。



両親が云々、恋人が云々じゃなくても、

1回だけ会った人からも、知り合ったばかりの人からでも、

都度会うことのあるだけの人からも、


私は大事にしてもらうことができて、

ちゃーんと、私が愛される(価値のある)人間なんだっていう証拠は集まるんだな、って


ぱっかーんしたのでした(*'▽')


□ □




駅、待合室のベンチでくつろぐ駅ネコさん。

係員さんに見守られ、近所の人にご飯をもらい、目ヤニも治してもらい、
駅の片隅にはいつもご飯とお水があって、日中こうやってごろごろしてる。

自ら近寄ってきてくれる。
撫でさせてくれる。
眠いときに触っても怒らない(笑)



先日、待合室にいたおばさまが、

「愛情をかけてやると、自分のいる場所を覚えるのねー」

と言ってて、ちょっと印象に残りました。


人間の差し出した愛情を、享受してそこにいるというかたちで、受け取ってくれているのかしら。