最近の観劇やライブを通して自分の中で思うところがあります。
それは、表現的に明らかにおかしいと思いながらも「音が見える」事です。
気持ちが前に出た行動からは「伝えたい」思いの分だけ心の底にひしひしと伝わるものがありまるで鍾乳洞の中のように心に反響します。
ある時その瞬間から「発信元」からの意識を感じ、そこから発せられている「音」が「形」を創り上げて見える瞬間を感じることが最近良くあります。
それは技術的なものもさることながら、やっぱりご本人の「想い」の大きさに比例していると感じ・・・
「音源」が「音楽」に限らず感じられるところもポイントであろうと思います。
たとえば、以前聞いたことのある「選挙演説」。
音がやかましいだけで鼓膜に響いた感じがしました。
何回も同じ事を言っているうちに「言葉の慢性化」を生んでしまい伝わらなくなってしまったのだと思います。
良い事おっしゃっていましたから。
それに引き換え・・・歌。
正直わからない部分の歌詞だらけです(涙)。
高校の頃、恩師と話したことがあります。
「この文章を読んで作者が何を思っているか答えなさい」
・・・私は本人ではないのでわかりません・・・
恩師大爆笑。
ところが、「その人」が発信することで併せて巻き起こる「伝わる思い」
それは聴く側の気持ちや「調子」によっても違ってくるとは思いますが、
私は出来るだけアンテナを張って大事にしたいと思っていると同時に、
何かを伝えられる人にはやはり敬意を表したいと思っています。
「見える音」これからも大事にしていきたいと思います。