3.11 | cloverと愛しき日々

cloverと愛しき日々

相葉くんと嵐さんに日々を癒し潤してもらっています!

また陽が昇りきらず、子ども達は後部座席で眠っていて。

私も眠いなぁ…と助手席でぼんやり…
高速を走ると朝焼けから次第に澄んだ青空となり、遠くに富士山がハッキリと見えました。

『凄い!富士山がハッキリと見える』

富士山好きな私はテンションあがり、寝ている子ども達を起こしてみたり(笑)

今日は1日良いことがありそう❤
そんな事を話ながら向かう先は

『東京ディズニーランドキラキラ

そう。
5年前、私たち家族はTDLにいました。

14:46
パレードが始まり、もうすぐパレードの先頭が見える頃。
緩やかな横揺れを感じた。

地震とゆうより大きなウォーターベッドの上にいる感じ。

情報も少なく、キャストの冷静沈着な対応に事の重大さに全く気づかなかった。

20:45頃 ディズニーランドを出る
園内は全く大丈夫だったのに…
駐車場は液状化で至るところで車が傾き、泥水が噴水していました。

車のTVで初めて地震と津波被害を知りました。
津波とコンビナートの燃え盛る炎。
あまりにも衝撃が強すぎていまでも鮮明に思い出せます。

繋がらない電話に不安と苛立ち。

21時頃駐車場を出発
高速で2時間半の距離を
休憩もそこそこに13時間かけて帰りました。

地元に近づくにつれコンビニから食品や水がなくなり、信号がなくなり、家が壊れ、車が乗り捨てられ、道路が隆起し。

海がすぐ近くの実家は、少し高台だったので津波被害は免れました。

水道も電気もガスもしばらく使えなかったし、ガソリンも半分入れるために半日並んだこともあった。

放射能の影響で
子ども達は、そとで遊べなくなりマスクが必需品で飲食にも神経質になったときもあった。

それでも、私たちには家があり、家族も無事でした。

今、あの日々を思い出させるものは…砂浜がなくなった海辺と高い高い防波壁が建てられた海岸線。

日々、当たり前に過ぎていく毎日。
それがどんなに幸せで大切な事か改めて考える1日でした。

亡くなられた方のご冥福をお祈り致します。
また、行方不明の方が1日も早く見つかりますように心からお祈り致します。

今もなお仮設住宅でご苦労されている方や震災の後遺症に苦しんでるかた。

皆がいつか心の底から笑える日が来ますように。



小さな出来事に一喜一憂し笑いあえるこの日々を大切に。