昔の中国で行われていた七夕の風習・民間信仰


□で囲んだ項目の見出しのほとんどは中国語記事原文のgoogle自動翻訳です。面白いのでそのままにしておきます()






針に糸を通し、技術を乞う



糸を通さなければ裁縫は始まりませんが、果たしてこれでスキルが上達するのか、必要性が疑問な競技。



幸せな蜘蛛は賢いはずだ



「蜘蛛を捕まえて小さな箱に入れ、密度の濃い巣が作られるのを待つ」というやつ。蜘蛛が、網の巣をかけたのを見つけた人は、幸運なんだそうです。これがいちばん驚きました。なんで蜘蛛が幸運?と思ったら、発音が幸せを表しているので、幸せの虫という意味があるのだそうです。


なんのことかと思えば、


中国仏教の「知足常楽」(自動翻訳「満足感と幸福感」)ということばで「足るを知る心があれば、常に楽しく気持ちも楽になれる」という意味の、「知足」(zhi_zu)と「蜘蛛(zhi_zhu)の発音が似ていることから、「満足する気持ち」=蜘蛛がくれば「嬉しい」「喜ばしい」ということなのでしょう。

 

周囲に影響されず緻密な巣を完成させる虫の集中スキルにもあやかりたかったようなのですが、検索しても近年「蜘蛛の巣はっけん比べ」を実行している姿は「針通し」のようには出てきませんでしたので、


良い意味があっても、そばに置くのはイヤなのでしょう。そりゃあそうだ。正直だね。

そして、蜘蛛の巣は占いにも使われ、清朝においては姿全体が身に着ける装飾品のモチーフとなった、ということでした。とっても気持ち悪いですね()



針を投げてスキルをテストしてください  


https://youtu.be/5PSd8pT6_-o?si=Pm8THVAEVuu8R_vF 

エイラク25話 


ドラマ

「瓔珞エイラク25話に登場。長春宮の侍女たちが針を浮かべて競い合っていました。姉に関わることで衝撃を受けた後に呼ばれたので、当然上手くいきません。お針子としての腕前を知っている仲間に笑われて負けず嫌いが発動、夜遅くまで練習を重ねます。


エイラクの気持ちも他所に投针验巧に興じる侍女達


富察皇后が現れ「うまくいかないときは、心が強くなるまで耐えなさい。誰からも束縛されなくなるから」と瓔珞は諭されました。皇后が投じた針は水面に浮かび、月の影で花が咲いたのでした。


思わず、「ゼラチンか片栗粉、ゲル状のものを少し溶いたら浮くよね」と思い、透明な水にみせるにはなにがいちばんいいかな?と思った私でした。水にみえるとしたらジュンサイのゲル状部分がいいかな〜


表面張力を利用するアメンボ気分になるスキルです。 その水は朝と夜のを配合するとよいとあり、陰陽と関係あるのかもしれません。



牛の誕生日を祝う




牽牛織女のお話の中に、「牛が重要な役割をはたしているバージョン」があるようなのです。幸せな愛に溺れて神々の衣類を織るというたいせつ~なお仕事をうっちゃった織女、怒った父親の天帝あるいは、母親の西王母が織女を取り返しにきて二人は離れ離れに・・・・って、え?あれ?織女って、一介の天女じゃなかったの?


西王母さんは道教では最高の女性神です。そして天帝がお父さんで(それぞれ別々に登場のようですので西王母と天帝が夫婦というわけではないみたい・・・)・・・織女が男性なら・・・・

 

夜華・・・は孫でした。いえ立太子しましたので正当な皇太子です。
天帝の三男坊といえば我らが連宋ちゃんと同じ立場ってことでしょうか?

織女さんは、実はすごいステータスだったのですね?

織女が牽牛のそば地上にいるのは次元下降=ディセンションということですね

いったい織女はなにに溺れたのでしょうか?


天帝の娘ならドラマの白鳳九よりも、織女の立場は上になります。なぜって狐族は天族よりも下位存在だからです。


ところで帝君は、鳳九の祖父と同級生だったはず・・・。

髪型のせいで内容入ってこないはいつものこと


日本では男性が通い婚する文化のため、会いにいくのは彦星の方ってあるんだけど

この牛さんが活躍するバージョンでは、牛郎は会いにいくのです。苦楽をともにした老牛が「僕が死んだら皮をはがして靴にして履けばきっと会えるよ」的なアドバイスを遺して絶命、(凄すぎる設定)


いいヤツだったんだなあ牛


老牛は牛飼いに皮を切り取らせ、牛革を運転して織工少女に会わせるように頼み、牛飼いが天河を渡るようにしたと言われています。 老牛の犠牲精神を記念するため「牛の誕生日を祝う」風習があります。(太字は中国サイト記事のgoogle翻訳引用です) 運転・・て訳されちゃうから魔法のじゅうたんを想像したじゃん()

 

 


肉体の一部を犠牲に差し出す、というのがこの国における最上の愛の証しなので牛さんはきっと生前大事に自分を取り扱ってくれた牛郎を従者ながらに愛していたのでしょう。

枕でも鳳九の言葉を覚えていた帝君が心臓の半分で作った、帝君がこの世からいなくなっても命を守護する指輪・・・・

 

枕上書の特異性が現われている、感動的なシーンでした。

 なにがって偉大なる帝君の犠牲が申し訳ないと涙するのではなく、


「なにより自分と一緒にいたいはず、帝君は強がりをいっている」

と10分の1に満たない3万歳の鳳九が女性らしい受容力で発した言葉は、これまでの

身分の高い素晴らしい男性に命がけでつき従う女性像」

とはまったくちがう描かれ方だったからです。

 

 

 

 

さて、実は前述の

「牛さんに感謝」部分が、神が書いてほしかったポイントなのです。信じられないですよね。よりにもよって牛さんに感謝とは。神さまはとにかく私たちにたいして「牛さんに感謝してほしい」という物語設定を作りがちです。例えば古代エジプトのアアルね。

この画像の左端下段に黒い雄牛がいます

ごはんの世話をするのがなんと、牛さんだけなんですよ。あの世では牛さんがすべてのごはんをまかなってくれる。神の強い意思を感じますね。牛に奉仕させて人間たちが感謝する、というパターン。これ、意味があるんですよ、ちゃんと。あえて、つながる能力をもつチャネラー連中に読み込ませて、物語の重要部分に記させているのです。人間は気づいてないけどね。気づいた人々は牛を食べないはずです。(その理由についてはいつか書きます)

 

そして、実は 織女の父親は東王公、あるいは東王父であると認識される場合もある、ということでした。いや、おい、元ネタ設定でも、父親世代だったのですね。


東華帝君は 東王公、東王父、伏羲と同等と考えてよい存在です。

そんなこたあどこ吹く風の東華


ネタが多すぎて一つでおさまらない💦
昔の中国における日本では考えられない乞巧奠の様子②に続きます。