祭事の前日用意したユリが
満開になりました。

祭壇から頂いたお花

ユリだけ差し替えました。
トゥーレガという品種だそうで
香りがほとんどありません。

あれから一週間が過ぎ、
毎日父の祭壇にお参りしています。
1日2回。話しかけるのは何回かな。
「相変わらずおまえは騒がしいね」
と言われます。

遺品から面白いものが。

祖母あてに、陸軍の東部第40部隊長より昭和28年の日付で、それより10年前に戦死した祖父に対する「退職賞与件通牒」2148円だそうです。当時の価値だといくらになるのでしょうね?


祖父のお墓は多磨霊園にあったのですが、自宅から3時間近くかかるので、数年前に移墓しました。もうすでに両親が高齢だったので、私が主体的に行い、
そのときから「祖父から守られている」という感覚があり、
スピに転ぶ前3年ほど勤めた近隣の会社は、ちょうどそのころ、多磨霊園のすぐ近くに在住する方とできたご縁で入社となったのでした。その方は高校時代に少し軍関係に通学された、とはなしてくださったので「祖父が呼んだのだろう」となんとなく思いました。

ネットで広告をちょこちょこ見ていたとき、どこのサイトとつながったかわからないまま、なぜか惹かれて普段なら電話をかけない私がかけてしまい
出てきた声はDJですか?と思うほど軽妙なしゃべりに驚いて長話になり、求人の見出しは女性はムリだからこんなのはどう?と別の職務を紹介されたのが始まり。

ちなみに主人はもとレンジャー。
親に言われて高卒で入隊させられ、北海道の外れにいたのに、習志野でポロポロ飛んでたんですよね。

たぶん私の若い自分、夏祭りで
ニヤミスがあったかもしれません。
どちらにしてもおじいちゃんの人選です。

父は防衛大にストレートで合格したのに、祖母が「戦争で死ぬのは、おとうちゃまだけで十分!」と泣かれて浪人。
あとになって
「俺は長官くらいはいってた。その場合おまえは生まれてなかった」などと嘯いていました。

いつだったか、コロナの1年目の混乱時に国民に対する不誠実な政治家の在り方に憤っていたとき、祖父とつながってしまい、ついでにヤスクニの英霊たちともつながってしまい、(時代的に部下が’命がけでお守りする’みたいな感覚なのでしょうね)
昭和天皇に思いをいたすと、尊崇と敬愛の念で祖父が号泣するので死ぬかと思いました。あまりに激しく泣くので息ができないほどだったからです。

このように、闇の支配に大切な国民を従属させたくなくて、アジア圏で手を結びたかった陛下の思いは叶わず、だからこそ国民に不誠実な現状の政治家に対するエイレイたちの怒りはすさまじいものでした。

その怒りがどこにいったかは、起こったことのとおりです。


特に終戦の日にわざわざことを荒立てるために参拝にいくなど。

祈りなど、いまいる場所でいくらでもできます。いまいる場所で心が通じないほど弱い意思なら、する必要がそもそもないでしょう。

中国ドラマを見ていると、人前で行う儀式にはほぼ政治的な意味しかないことがよく描かれています。パフォーマンスでの参拝は特定のだれかに見せるためのショーでしかない、ということです。

と、ずれました。

そして、会社の帝国興信所の調査報告書
そういえば、私が無断事後報告で同棲をした際も、主人の信用調査を行った父でした。

そして株券、会社なくなっている、と勝手に思ってたのにまだあった。
面倒くさいなあ。



棺に納めたどら焼きの半分を
2・3回にわけて少しづつたべ、

祭壇に備えた果物をかじり、

そして納骨の予約をし、

父が亡くなる少し前まで着ていたトレーナの上下を着て寝ています。



もう、肉体の痛みを手放したころかな。
 

父を送った曲。

父も歌っています。

OB会じゃないのでこの中にはいませんでした💦