さて前回の投稿
サプタマートリカーではない存在が
七母天の中に組み込まれ、それは
クベーラ(毘沙門天)の妻=カウベリ
と
ハーリーティ(鬼子母神)であり、
二つは習合したようだ、と記述しました。
が、習合ではなく、関連したようだ、
と訂正いたします。
この間違いは参考にさせていただいた
マラーティ語の記事において、
クベーラと、ハーリーティの夫である
パーンチカが同一存在として書かれていた
ことによります。
また、別にマラーティ語の質問サイト
(日本の知恵袋のような)に
「クベーラの妻はだれですか?」とあるので、
現地でも興味の対象のようです。たぶんクベーラが豊穣の神ラクシュミと一緒に商品などで画像表記されることがあり興味がわくのだと思います。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240205/23/umikazesophia/1d/8a/j/o0836086215398039104.jpg?caw=800)
このような画像でラクシュミとクベーラが夫婦のように見えてしまうのも当然かも。
画像はこちらからお借りしています →https://astroonly.com/store/online-pooja/lakshmi-kubera-pooja 占い電話相談です(笑)どこの国も同じですね。
しかし、問の「クベーラの妻」の回答に
ハーリーティは出てきませんでした。
マラーティー語はインド西部のマハーラーシュートラ州を中心に話される言語だそうです。
クベーラがハーリーティの夫だったとしても
カウベリとは別神ということもありえますね。失礼しました。
訶梨帝母=鬼子母神の話は、ぶっちゃけ
マートリカーのカーリーの印象から
仏陀の生きた時代から、唐の翻訳者の時代まで1200年経過しています。鬼子母神に関するパーリ語の原書はないんだそうです。
そして、なによりいちばんに疑問なのが、
500人もの人(あるいは霊魂)を食べた女性を、改心したからと言って現地の人々が豊穣の女神に認められるのか?ということです。
ファッローとアレドクショー
「ギリシャの女神テュケから取り入れられた特徴(Wikipedia 英語Ardokshoより)があるガンダーラで発見されたクシャーン彫刻。
イランの富の神アレドクショー。パーンチカとハーリーティ像に影響を与えたようです。
2-3世紀の作品
前回記事二人にそっくりですね。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240205/22/umikazesophia/14/1b/j/o0989071115398016426.jpg?caw=800)
ペシャワール博物館についての記事より
ガンダーラ チャルダッサ地区 クシャーン彫刻2-3世紀 オックスフォード大学アシュモレアン博物館所蔵 画像は同博物館より
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240205/22/umikazesophia/da/16/j/o0459038815398017882.jpg?caw=800)
前3世紀から1世紀ころ文化が隆盛をほこったであろうサーンチ遺跡。
明朗で快活で躍動感あふれる群像、
この諸像群の方が仏陀の生きた地と時代によほど近いのです。日本が経典を手に入れたのはそれから約800年後のことです。
この柱を支えているヤクシ
個人のサーンチ遺跡旅行記
このような文化の中に子どもを喰らって
改心したもと悪魔が女神になる、なんて
概念があったとはとても信じられません。
前回記載のマラーティ語辞典のハリティ記事にあった、バーダミのチャルキア王一世の碑文の文章をGoogle翻訳にかけてみました。
マラーティ語なのかと思いましたが、
サンスクリット語に直してかけなおすと、
‘हारीती-पुत्रनाम् सप्तमातृभि रभिवर्धितानाम्’.
‘The sons of Hariti, raised by seven mothers’.
「ハリティ―の子どもたちは、7人の母親に育てられた」になりました。記事には、王族はハーリーティの子孫である、とも書かれていましたが、残念ながら、内容が真実かどうかを他の媒体で確認できませんでした。
初代チャルキア王などの遺跡と碑文の写真多数掲載英文サイト
日本の方のバーダミ旅行記素敵な神像がいっぱい
記述が本当なら500人もの人間を食らった怪物を、いくら改心したからといって
「自分はその子孫なんだ」と碑文に遺してまで王さまがいうでしょうか?
(少なくとも現在のハーリーティの寺院についての現地の方の英文サイトでは日本語の'きしぼじん'の、子を食べたという話を信じているようです。ローマ字表記のキシボジンと食べた部分が断り書きのように記載されていました)
中国が外国の神の征服に成功した、ということなんだと思います。
つづく